20世紀日本人名事典 「本多主馬」の解説 本多 主馬ホンダ シュメ 明治〜昭和期の僧侶 大谷大学学長;専福寺住職;天台宗僧正。 生年明治6年9月6日(1873年) 没年昭和13(1938)年2月3日 旧姓(旧名)石井 学歴〔年〕真宗大学研究科卒 経歴明治35〜40年母校・真宗大学の教授となり、45年〜大正4年後身の真宗大谷大学教授、更に後身の大谷大学教授を経て、昭和12年同大学長に就任、宗学院指導を兼ねた。この間、安居次講に法華経を講じたこともあり、7年講師の最高学階を授かる。天台宗の権威で、日蓮宗の教義にも精通し、大谷大学学長就任後も日蓮宗の講義を続けていた。三重県四日市市の専福寺住職。権僧正となり、のち僧正に追補された。著書に「入出二門偈講義」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多主馬」の解説 本多主馬 ほんだ-しゅめ 1873-1938 明治-昭和時代前期の仏教学者。明治6年9月生まれ。35年母校真宗大の教授となり,昭和12年後身の大谷大学長。天台学の権威で,日蓮宗の教義にも精通した。三重県四日市市の専福寺住職。昭和13年2月3日死去。66歳。名は「しゅめ」とも。著作に「入出二門偈講義」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by