20世紀日本人名事典 「本多天城」の解説
本多 天城
ホンダ テンジョウ
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 慶応3年7月(1867年)
- 没年
- 昭和21(1946)年
- 出生地
- 江戸・深川
- 本名
- 本多 祐輔
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科選科〔明治26年〕卒
- 経歴
- 明治18年狩野芳崖に入門、岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲と共に芳崖門の四天王と称された。19年鑑画会大会で受賞、21年芳崖没後、東京美術学校に入り、26年卒業。29年同校助教授となり、30年第2回日本絵画共進会、同年第3回で共に銅牌を受賞。31年の東京美術学校騒動に際しては辞職組として連署したが留任、34年まで助教授を務めた。また日月会に会員として参加し、36年内国勧業博、40年東京勧業博で共に褒状を受賞。大正元年狩野忠信らと狩野会を結成。代表作に「柳鷺図」「山水図」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報