コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

本多天城 ほんだ てんじょう

美術人名辞典の解説

本多天城

日本画家。東京生。名は祐輔。東美校日本画選科卒。初め近藤勝美に洋画を学び、のち狩野芳崖に師事、岡倉秋水、岡不崩らとともに、芳崖門の四天王と称された。東美校助教授として後進の指導にあたった。また狩野忠信荒木探令、岡倉秋水らと狩野会を結成し、研究会をおこなった。昭和21年(1946)歿、80才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本多天城 ほんだ-てんじょう

1867-1946 明治-昭和時代の日本画家。
慶応3年7月29日生まれ。明治18年狩野芳崖(かのう-ほうがい)に入門。29年から34年まで母校東京美術学校(現東京芸大)の助教授をつとめる。一方,日本絵画協会絵画共進会,内国勧業博覧会などで受賞をかさねた。昭和21年5月11日死去。80歳。江戸出身。本名は佑輔。作品に「柳鷺図」「秋野」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

本多天城の関連キーワード昭和時代

今日のキーワード

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android