本多忠紀(読み)ほんだ ただとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠紀」の解説

本多忠紀 ほんだ-ただとし

1820*-1883 幕末大名
文政2年11月27日生まれ。本多忠知(ただとも)の4男。万延元年兄忠徳(ただのり)の死により陸奥(むつ)泉藩(福島県)藩主本多家6代となる。寺社奉行,奏者番をへて若年寄戊辰(ぼしん)戦争では,はじめ新政府軍に属したが,のち奥羽越列藩同盟にくわわり新政府軍の攻撃をうけ降伏,隠居した。明治16年2月16日死去。65歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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