ウィンチェスター(読み)うぃんちぇすたー(英語表記)Winchester

翻訳|Winchester

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィンチェスター」の意味・わかりやすい解説

ウィンチェスター
Winchester

イギリスイングランド南部,ハンプシャー県の県都。周辺を含めてウィンチェスター地区を構成する。ロンドンの西南西約 100km,イッチェン川の谷にある。鉄器時代から人が住んでいたと考えられ,ローマ時代にはウェンタベルガルム Venta Belgarumの名のもとに交通の要地として発展。アングロ・サクソン時代にはウェセックス王国の首都となり,7世紀後半にはテムズ川沿岸のドーチェスターからここに主教座が移され,宗教中心地としても繁栄。829年ウェセックス王エグベルトがイングランド王になると,市はイングランドの首都の観を呈し,ロンドンと常に競い合い,アルフレッド大王のもとで文芸の中心地となった。1066年のノルマン・コンクェスト後は商業中心地として繁栄,ウィリアム2世により聖ジャイルズ市開設の勅許を得,12世紀初めに最盛期を迎えた。スティーブン王(在位 1135~54)の治世の内乱時に市街が焼き払われてから衰退し始め,代わって地理的条件に恵まれるロンドンが名実ともにイングランドの首都として発展し始めた。今日,宗教,行政の中心地であるほかは,おもに農産物集散地として機能しており,工業はあまり発展していない。20世紀半ば以降ロンドン,サウサンプトンと結ぶ交通網が密になるとともに,住宅地としても発展。教育中心地でもあり,ウィンチェスター・カレッジ(1382)はパブリック・スクールの名門として有名。市内にはアングロ・サクソン時代の聖スイジン聖堂に始まる大聖堂をはじめとする歴史的建築物が多い。地区面積 659km2。地区人口 11万(2004推計)。都市人口 4万1420(2001)。

ウィンチェスター
Winchester, Charles A.

幕末に来日したイギリスの外交官。海軍軍医として 1842年6月中国に渡り,ホンコンアモイ (厦門) に在勤,54年以後領事事務にたずさわり,ニンポー (寧波) 副領事,広東代理領事などを歴任,61年3月箱館 (函館) 領事に任命され来日。翌年3月から5月まで代理公使をつとめ,次いで神奈川,長崎領事を歴任,64年 12月から翌年7月まで公使 R.オールコックの帰国にあたり,再び代理公使となる。後任 H.パークス着任とともに上海領事として転出,70年6月9日公務を退いた。滞日中は,とりわけ幕府の方針に基づいた諸大名の貿易振興をもって国内政局を打開するよう江戸幕府に勧告し,上海にあっても,四国艦隊下関砲撃事件の賠償金問題の処理にあたった。

ウィンチェスター
Winchester

アメリカ合衆国,バージニア州北部の都市。ウェストバージニア州との州境に近く,首都ワシントン D.C.から西北西へ約 110kmの距離にある。 1744年,J.ウッド大佐によって建設された。地名はイギリスのウィンチェスターをそのままつけたもの。肥沃な渓谷の中心に位置し,リンゴ園が多く,各所に巨大なリンゴの冷凍倉庫が建ち,輸出用リンゴの大取引地である。毎年4月に行われるシェナンドーア・リンゴ祭は有名。さまざまなゴムやプラスチック製品,缶,鋼製コンベヤ,毛織物などを製造する。南北戦争時の重要な古戦場が3ヵ所あり,歴史的建造物も豊富。人口2万 1947 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィンチェスター」の意味・わかりやすい解説

ウィンチェスター
うぃんちぇすたー
Winchester

イギリス、イングランド南部、ハンプシャー県の県都。人口10万7213(2001)。ポーツマスの北北西約30キロメートルに位置する古都で、12世紀以来の数々の歴史的建築物や史跡に富む。もっとも有名な建築物は、市街地のほぼ中心部にそそり立つウィンチェスター大聖堂で、1079年に建設が始まり、完成までに約300年を要した。大聖堂のすぐ南にあるウィンチェスター・カレッジは、大僧正ウィカムによって1382年に創設されたイギリス最古のパブリック・スクールである。

[久保田武]

歴史

ケルト時代、ローマ時代から、商業、交通の要衝であり、毛織物業が栄えていた。7世紀後半からウェセックス王国の都となり、ドーチェスターから司教座教会も移され、エグベルト王、アルフレッド王の時代に栄えた。イングランド統一後もロンドンと並んで首都的機能を果たし、クヌート王のころから王の金庫が置かれ、征服王ウィリアム1世も大陸に近いこの地に王の金庫を置いた。ヘンリー1世時代には財務府もできた。古くから商人ギルドがあり、1155~58年に特権証書を得た。12世紀中ごろから財政・裁判機構がウェストミンスターに移ってロンドンに首都的機能を譲り、ヨーロッパ大陸のイギリス領喪失後は凋落(ちょうらく)した。ピューリタン革命のとき、王党派に加担して被害を受けた。

[富沢霊岸]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android