デジタル大辞泉
「ウィンチェスター」の意味・読み・例文・類語
ウィンチェスター(Winchester)
米国人O=F=ウィンチェスターの創立した銃器会社製の銃器の総称。特に、連発銃の「モデル七三」は西部開拓時代に広く用いられたので有名。
ウィンチェスター【Winchester】[地名]
英国南部、ハンプシャー州の都市。もとウェセックス王国の首都。14世紀創立のウィンチェスターカレッジがある。
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精選版 日本国語大辞典
「ウィンチェスター」の意味・読み・例文・類語
ウインチェスター
- 〘 名詞 〙 ( Winchester )
- [ 1 ] イギリス南部、ハンプシャー州の中心都市。五一九年にウェセックス王国の首都になり、羊毛の集散地として栄えた。
- [ 2 ] 「ウインチェスターじゅう(━銃)」の略。
- [初出の実例]「ウインチェスターの五連発を取り上げ」(出典:寝園(1930‐32)〈横光利一〉)
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ウィンチェスター
Winchester
イギリス,イングランド南部ハンプシャー州の古都。人口11万(2006)。古代から地の利をえた重要都市で,ケルト人のグウェントGwent,ローマ都市ウェンタ・ベルガルムVenta Belgarumに起源を発する。ローマ時代には特に毛織物業で知られた。アングロ・サクソン時代にはウェセックス王国の中心市で,7世紀に司教座がおかれ,さらにアルフレッド大王が王国の首都としたため,政治・文化・宗教上の中心となり,サウサンプトンを外港として経済的にも繁栄した。ノルマン・コンクエスト後もウィリアム1世の居城として,ロンドンとともに二重の首都であり,12世紀には財務府がおかれるなど,依然重要性を保持したため,内乱のたびに争奪の的となった。しかし中世後期から政治上の重心がロンドンに移ったため,政治・経済上の重要性を失った。イングランド最古のパブリック・スクールといわれるウィンチェスター・カレッジは1387年司教ウィカムの創立による。
執筆者:青山 吉信
美術
10世紀後半から11世紀前半にかけて,〈ウィンチェスター派Winchester School〉と呼ばれる,アングロ・サクソンの写本画における重要な一派がウィンチェスターの修道院工房を中心に活動。この派は,カロリング朝美術とアングロ・サクソンの伝統との総合に成果をあげ,その様式はカンタベリーなどにも広まった。ウィンチェスター大聖堂は,ノルマン征服後の再建になるノルマン様式翼廊(11世紀後半)と14世紀のゴシック垂直様式Perpendicular Style身廊が結合し,全長169mでイギリス最長である。
執筆者:岸本 雅美
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ウィンチェスター
Winchester
イギリス,イングランド南部,ハンプシャー県の県都。周辺を含めてウィンチェスター地区を構成する。ロンドンの西南西約 100km,イッチェン川の谷にある。鉄器時代から人が住んでいたと考えられ,ローマ時代にはウェンタベルガルム Venta Belgarumの名のもとに交通の要地として発展。アングロ・サクソン時代にはウェセックス王国の首都となり,7世紀後半にはテムズ川沿岸のドーチェスターからここに主教座が移され,宗教中心地としても繁栄。829年ウェセックス王エグベルトがイングランド王になると,市はイングランドの首都の観を呈し,ロンドンと常に競い合い,アルフレッド大王のもとで文芸の中心地となった。1066年のノルマン・コンクェスト後は商業中心地として繁栄,ウィリアム2世により聖ジャイルズ市開設の勅許を得,12世紀初めに最盛期を迎えた。スティーブン王(在位 1135~54)の治世の内乱時に市街が焼き払われてから衰退し始め,代わって地理的条件に恵まれるロンドンが名実ともにイングランドの首都として発展し始めた。今日,宗教,行政の中心地であるほかは,おもに農産物の集散地として機能しており,工業はあまり発展していない。20世紀半ば以降ロンドン,サウサンプトンと結ぶ交通網が密になるとともに,住宅地としても発展。教育中心地でもあり,ウィンチェスター・カレッジ(1382)はパブリック・スクールの名門として有名。市内にはアングロ・サクソン時代の聖スイジン聖堂に始まる大聖堂をはじめとする歴史的建築物が多い。地区面積 659km2。地区人口 11万(2004推計)。都市人口 4万1420(2001)。
ウィンチェスター
Winchester, Charles A.
幕末に来日したイギリスの外交官。海軍軍医として 1842年6月中国に渡り,ホンコン,アモイ (厦門) に在勤,54年以後領事事務にたずさわり,ニンポー (寧波) 副領事,広東代理領事などを歴任,61年3月箱館 (函館) 領事に任命され来日。翌年3月から5月まで代理公使をつとめ,次いで神奈川,長崎領事を歴任,64年 12月から翌年7月まで公使 R.オールコックの帰国にあたり,再び代理公使となる。後任 H.パークスの着任とともに上海領事として転出,70年6月9日公務を退いた。滞日中は,とりわけ幕府の方針に基づいた諸大名の貿易振興をもって国内政局を打開するよう江戸幕府に勧告し,上海にあっても,四国艦隊下関砲撃事件の賠償金問題の処理にあたった。
ウィンチェスター
Winchester
アメリカ合衆国,バージニア州北部の都市。ウェストバージニア州との州境に近く,首都ワシントン D.C.から西北西へ約 110kmの距離にある。 1744年,J.ウッド大佐によって建設された。地名はイギリスのウィンチェスターをそのままつけたもの。肥沃な渓谷の中心に位置し,リンゴ園が多く,各所に巨大なリンゴの冷凍倉庫が建ち,輸出用リンゴの大取引地である。毎年4月に行われるシェナンドーア・リンゴ祭は有名。さまざまなゴムやプラスチック製品,缶,鋼製コンベヤ,毛織物などを製造する。南北戦争時の重要な古戦場が3ヵ所あり,歴史的建造物も豊富。人口2万 1947 (1990) 。
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ウィンチェスター
うぃんちぇすたー
Winchester
イギリス、イングランド南部、ハンプシャー県の県都。人口10万7213(2001)。ポーツマスの北北西約30キロメートルに位置する古都で、12世紀以来の数々の歴史的建築物や史跡に富む。もっとも有名な建築物は、市街地のほぼ中心部にそそり立つウィンチェスター大聖堂で、1079年に建設が始まり、完成までに約300年を要した。大聖堂のすぐ南にあるウィンチェスター・カレッジは、大僧正ウィカムによって1382年に創設されたイギリス最古のパブリック・スクールである。
[久保田武]
ケルト時代、ローマ時代から、商業、交通の要衝であり、毛織物業が栄えていた。7世紀後半からウェセックス王国の都となり、ドーチェスターから司教座教会も移され、エグベルト王、アルフレッド王の時代に栄えた。イングランド統一後もロンドンと並んで首都的機能を果たし、クヌート王のころから王の金庫が置かれ、征服王ウィリアム1世も大陸に近いこの地に王の金庫を置いた。ヘンリー1世時代には財務府もできた。古くから商人ギルドがあり、1155~58年に特権証書を得た。12世紀中ごろから財政・裁判機構がウェストミンスターに移ってロンドンに首都的機能を譲り、ヨーロッパ大陸のイギリス領喪失後は凋落(ちょうらく)した。ピューリタン革命のとき、王党派に加担して被害を受けた。
[富沢霊岸]
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ウィンチェスター
没年:1883.7.18(1883.7.18)
生年:1820?
幕末に来日したイギリスの外交官。スコットランドの弁護士の家に生まれ,医学を修める。海軍に入り,1841年10月海軍軍医補に任命されて中国へ赴任。翌年軍籍を離れ,新しい直轄植民地香港の医官に就任。1843年以降,厦門領事官付医官,黄埔副領事代行,寧波領事代行,広東領事代行を歴任。文久1(1861)年日本勤務へ転じ,駐日公使オールコックの賜暇帰国中2年2月から4月まで代理公使,その後翌年3月まで長崎領事,次いで神奈川領事を務める。オールコックが召還されたため元治1(1864)年11月再び代理公使に就任。1865年3月上海領事に任命され,新任駐日公使パークスの着任を待って7月赴任。この間慶応1(1865)年4月,兵庫早期開港,条約勅許,輸入税引き下げを条件とする下関償金軽減を本国外相に提案。関係列国の慶応期対日政策を方向付ける。上海領事時代は部下の公金費消事件や夫人の死去など不運だった。1868年7月まで在勤し帰国。70年健康上の理由で退官。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ウィンチェスター Winchester, Charles Alexander
1820?-1883 イギリスの外交官。
文久元年(1861)箱館領事として来日。元治(げんじ)元年駐日代理公使。四国艦隊下関砲撃事件では幕府に対して賠償金を軽減するかわりに,兵庫開港などを要求することを各国に提案。パークスの公使赴任とともに上海領事となった。1883年7月18日死去。63歳?
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ウィンチェスター
Winchester
ロンドンの西南西約100kmにある古い都市。ウェセックス王国の首都となり,その王がイングランドの王となるとともに,一時イングランドの首都の観を呈した。7世紀以来司教座が置かれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報