翻訳|Winchester
イギリス,イングランド南部ハンプシャー州の古都。人口11万(2006)。古代から地の利をえた重要都市で,ケルト人のグウェントGwent,ローマ都市ウェンタ・ベルガルムVenta Belgarumに起源を発する。ローマ時代には特に毛織物業で知られた。アングロ・サクソン時代にはウェセックス王国の中心市で,7世紀に司教座がおかれ,さらにアルフレッド大王が王国の首都としたため,政治・文化・宗教上の中心となり,サウサンプトンを外港として経済的にも繁栄した。ノルマン・コンクエスト後もウィリアム1世の居城として,ロンドンとともに二重の首都であり,12世紀には財務府がおかれるなど,依然重要性を保持したため,内乱のたびに争奪の的となった。しかし中世後期から政治上の重心がロンドンに移ったため,政治・経済上の重要性を失った。イングランド最古のパブリック・スクールといわれるウィンチェスター・カレッジは1387年司教ウィカムの創立による。
執筆者:青山 吉信
10世紀後半から11世紀前半にかけて,〈ウィンチェスター派Winchester School〉と呼ばれる,アングロ・サクソンの写本画における重要な一派がウィンチェスターの修道院工房を中心に活動。この派は,カロリング朝美術とアングロ・サクソンの伝統との総合に成果をあげ,その様式はカンタベリーなどにも広まった。ウィンチェスター大聖堂は,ノルマン征服後の再建になるノルマン様式翼廊(11世紀後半)と14世紀のゴシック垂直様式Perpendicular Style身廊が結合し,全長169mでイギリス最長である。
執筆者:岸本 雅美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリス、イングランド南部、ハンプシャー県の県都。人口10万7213(2001)。ポーツマスの北北西約30キロメートルに位置する古都で、12世紀以来の数々の歴史的建築物や史跡に富む。もっとも有名な建築物は、市街地のほぼ中心部にそそり立つウィンチェスター大聖堂で、1079年に建設が始まり、完成までに約300年を要した。大聖堂のすぐ南にあるウィンチェスター・カレッジは、大僧正ウィカムによって1382年に創設されたイギリス最古のパブリック・スクールである。
[久保田武]
ケルト時代、ローマ時代から、商業、交通の要衝であり、毛織物業が栄えていた。7世紀後半からウェセックス王国の都となり、ドーチェスターから司教座教会も移され、エグベルト王、アルフレッド王の時代に栄えた。イングランド統一後もロンドンと並んで首都的機能を果たし、クヌート王のころから王の金庫が置かれ、征服王ウィリアム1世も大陸に近いこの地に王の金庫を置いた。ヘンリー1世時代には財務府もできた。古くから商人ギルドがあり、1155~58年に特権証書を得た。12世紀中ごろから財政・裁判機構がウェストミンスターに移ってロンドンに首都的機能を譲り、ヨーロッパ大陸のイギリス領喪失後は凋落(ちょうらく)した。ピューリタン革命のとき、王党派に加担して被害を受けた。
[富沢霊岸]
(廣瀬靖子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ロンドンの西南西約100kmにある古い都市。ウェセックス王国の首都となり,その王がイングランドの王となるとともに,一時イングランドの首都の観を呈した。7世紀以来司教座が置かれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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