ポルノグラフィー(読み)ぽるのぐらふぃー(英語表記)pornography

翻訳|pornography

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポルノグラフィー」の意味・わかりやすい解説

ポルノグラフィー
ぽるのぐらふぃー
pornography

人間の性または性的興奮の誘発を目的とする小説、絵画、映画、写真などの総称で、略してポルノともいい、伝統的な好色文学とは区別して現代的、西洋的なものについていうことが多い。西洋では18世紀にジョン・クレランドJohn Cleland(1709―89)の『ファニー・ヒル』(1748~49)、マルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ』(1791)などが出てサドやカサノーバの快楽主義が流行し、ポルノグラフィーの黄金時代といわれたが、もっぱら一部の貴族や大ブルジョアのものであった。19世紀になり、印刷技術の発達と、中産階級が読書の能力と経済力をもつようになって市場が広がり、また写真が発明されるなどして、『蚤(のみ)の自伝』(1887)、『インドのビーナス』(1889)、『フロッシー』(1897)、『わが秘密の生涯』(1885ころ)などのほか、雑誌も『パール』『ブードア』など数多く発刊されておびただしいポルノグラフィーが氾濫(はんらん)したが、良風秩序を害するというので検閲制度も設けられるに至った。20世紀に入り、検閲は依然として行われたが、1960年代にアメリカでは、大統領ジョンソンの諮問を受けた19名の有識者の報告に基づいて、成人に対するポルノグラフィーの販売・陳列・配布の禁止に関する法律をすべて撤廃し、ついでデンマークスウェーデンイスラエル、イギリスその他の諸国も1970年代にそれぞれ解禁した。

 日本では、古くは平安時代の偃息図(おそくず)(春画)や鎌倉・室町時代の愛欲絵巻『小柴垣(こしばがき)草子』『稚児(ちご)草子』『袋法師絵詞(えことば)』があり、江戸時代には枕絵(まくらえ)・あぶな絵などとよばれる秘戯画や浮世絵、性的川柳(せんりゅう)を収集した『誹風末摘花(はいふうすえつむはな)』ほか『好色吾妻鑑(あづまかがみ)』『好色床談義』『阿奈遠可志(あなおかし)』『藐姑射秘言(はこやのひめごと)』など多くのポルノグラフィーにあふれ、1790年(寛政2)には幕府の老中松平定信(さだのぶ)により板行禁止令も施行されるに至った。第二次世界大戦後は、性解放の風潮に伴い、数少ないポルノグラフィー非解禁国である日本でも、検閲規準に微妙に触れぬ表現のポルノ雑誌が隆盛を極め、ポルノ映画(ピンク映画)、ポルノビデオなど具体的なセックス描写を扱った作品が数多くみられる。

[佐藤農人]

ポルノグラフィーと法規制

ポルノグラフィーは、日本では法律上「わいせつ物」(猥褻(わいせつ)の文書、図画、彫刻、映画、録音テープ、ビデオなど。なお1995年の刑法改正口語化が図られたのに伴い、漢字表記も改められ従来の「猥褻」は法律上「わいせつ」と表記されるようになった)にあたるとして、その頒布、販売または公然陳列が禁止される(刑法175条)が、ポルノがすべて猥褻物に該当するわけではなく、その判断基準などは時代によって変化する。この問題は表現の自由との関連で議論されることがある。いわゆるビニール本(ビニル袋に密封された扇情的出版物)の販売事件に関する最高裁判所第三小法廷判決(1983年3月8日)で、文書図画が「猥褻」の概念に該当するかどうかが問題とされる場合において、いわゆるハード・コア・ポルノ(性描写が直接的な作品)と、それにはあたらないが「猥褻」的要素の強いもの(準ハード・コア・ポルノ)とを区別して考えるのが適当である、という補足意見が述べられて注目を集めた。この補足意見は、前者に対する事後の処罰や制裁は日本国憲法第21条第1項(表現の自由)の保護の範囲外にあり、後者を刑法の規制の対象とするときは、猥褻の判断にあたり、当該性表現によってもたらされる害悪の程度と作品の有する社会的価値との利益衡量(対立する諸利益を比較衡量していずれかの価値を優先させること)が不可欠となるとした。

堀部政男

インターネット・ポルノ規制

1990年代中葉以降、インターネットが急速に普及し始めたのに伴い、インターネット・ポルノが大きな社会問題になり、現行法を改正しまたは新法を制定することによって対応することになった。1999年(平成11)4月1日施行の風俗営業等取締法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)改正法(2001年にも改正)では、次のような規定が盛り込まれた。

(1)もっぱら、性的好奇心をそそるため性的な行為を表す場面または衣服を脱いだ人の姿態の映像を見せる営業で、電気通信設備を用いてその客に当該映像を伝達すること(放送または有線放送に該当するものを除く)により営むものを「映像送信型性風俗特殊営業」と定義し(同法2条8項)、これを営む者に公安委員会への届出を義務づける(同法31条の7)。

(2)自動公衆送信装置設置者(プロバイダー)が、映像送信型性風俗特殊営業を営む者が猥褻な映像または児童ポルノ映像(後述の児童買春処罰法第2条第3項各号に規定する児童の姿態に該当するものの映像をいう。この「児童ポルノ映像」は2001年改正法で挿入された)を記録したことを知ったときは、その送信を防止するため必要な措置を講ずるよう努めなければならないとする(同法31条の8、5項)。

[堀部政男]

児童ポルノ規制

また、1999年11月1日施行の児童買春処罰法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)では、児童ポルノ(子どもポルノ)とは、写真、ビデオテープその他の物であって、
(1)児童を相手方とするまたは児童による性交または性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの、
(2)他人が児童の性器等を触る行為または児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって、性欲を興奮させまたは刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの、
(3)衣服の全部または一部を着けない児童の姿態であって、性欲を興奮させまたは刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの、
のいずれかに該当するものと定義されている(同法2条3項)。児童ポルノ(チャイルド・ポルノ)は、欧米先進国では禁止されている。同法制定以前は、日本が児童ポルノなどにかかわる行為を処罰していないことが国際的に批判されていた。なお、この問題は表現の自由などとかかわる面があり、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない、という「適用上の注意」が規定されている(同法3条)。

[堀部政男]

『堀部政男著「性表現の自由」(『講座現代の社会とコミュニケーション3 言論の自由』所収・1974・東京大学出版会)』『曽根威彦著『表現の自由と刑事規制』(1985・一粒社)』『奥平康弘・環昌一・吉行淳之介著『性表現の自由』(1986・有斐閣)』『ジュディス・エニュー著、戒能民江・坂田千鶴子・平林美都子訳『狙われる子どもの性――子ども買春・ポルノ・性的虐待』(1991・啓文社)』『キャサリン・A・マッキノン著、柿木和代訳『ポルノグラフィ――「平等権」と「表現の自由」の間で』(1995・明石書店)』『赤川学著『性への自由・性からの自由――ポルノグラフィの歴史社会学』(1996・青弓社)』『青木日出夫著『図説世界の発禁本――ヨーロッパ古典篇』(1999・河出書房新社)』『園田寿著『解説 児童買春・児童ポルノ処罰法』(1999・日本評論社)』『白倉敬彦・田中優子他著『浮世絵春画を読む』上下(2000・中央公論新社)』『荒俣宏著『性愛人類史観 エロトポリス』(集英社文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポルノグラフィー」の意味・わかりやすい解説

ポルノグラフィー
pornography

性的興奮をもたらす目的で,エロティックな行為を書物,絵画,彫刻,写真,映画などの形で表現したもの。語源はギリシア語の pornē (娼婦) と graphos (書くこと,描くこと) に由来し,元来は娼婦の暮しを描いた美術品や文学をさした。
伝承や保存に値しないと考えられていたため,ポルノグラフィーの起源と初期の形態についてはほとんど明らかになっていない。西洋文化史上初めて現れたポルノグラフィーの実例は,古代ギリシアのディオニュソス神をたたえる祭で演じられたわいせつな歌にみられる。ポンペイには,バッコス祭の狂乱の宴に献じたローマ時代 (1世紀) のエロティックな壁画が残っている。ポルノ文学 (→好色文学 ) の古典に,ローマの詩人オウィディウスによる誘惑,密通,官能の詩集『愛の技術』がある。中世には,ポルノグラフィーは広範に流布したが評価は低く,おもになぞなぞや小話,狂詩,風刺詩の形をとった。ボッカチオの『デカメロン』に描かれているように,中世のポルノグラフィーの主要テーマは,修道士や聖職者の性的放縦と偽善をあばくことであった。印刷技術が発明されると,多くの野心的なポルノ文学が世に出た。これらはユーモアとロマンスの要素を含んでいることが多く,性的興奮と同時に娯楽を目的として書かれ,結婚生活の裏切りや不義の喜びと悲しみを描いた。マルグリット・ダングレームの『エプタメロン』は,『デカメロン』をまねて,一群の人物に艶笑譚を含む物語を語らせるという技巧を用いている。東洋では,中国文学史上最大のポルノとされる『金瓶梅』が 16世紀末に成立し,清代にかけて量産されるポルノグラフィーのさきがけとなった。日本では井原西鶴の『好色一代男』 (1682) がポルノ文学の草分けとなり,枕絵 (→春画 ) と呼ばれる浮世絵が,江戸幕府の禁令をくぐり抜けて広く流布した。
18世紀のヨーロッパでは,文学的価値がまったくない性的興奮のみを目的とした近代的な作品が登場した。当初,このような作品は少量が地下で流通していたが,J.クリーランドの『ファニー・ヒル』 (1749) のように広く読まれたものもあった。この頃,パリではエロティックな版画が盛んに製作され,フレンチ・ポストカードとして知られるようになった。ビクトリア時代は性的な話題に関するタブーが優勢を占めていたが,それにもかかわらず,あるいはだからこそ,ポルノグラフィーが盛んであった。匿名作者による『マイ・シークレット・ライフ』 (1890) は,ピューリタン社会の暗部を描いた社会的年代記であると同時に,生涯をかけて性的快楽を追求したイギリス紳士の詳細な物語である。写真と映画の進歩は,ポルノグラフィーの発展に大きく寄与した。 20世紀のポルノグラフィーは,かつてないほど多様なメディアで表現され,非常に大量の作品がつくられた。第2次世界大戦後,ポルノ文学は,芸術性,社会性を欠くとされるエロティックな行為の露骨なビジュアル表現にその座を奪われた。
ポルノグラフィーは堕落,腐敗をもたらし,性犯罪を助長するという理由から,古今東西にわたり道徳的,法的制裁の対象であった。芸術的,宗教的に重要であるとみなされるものでさえ,このような考えからポルノ性が高いとされて,当局から禁止されることがあるが,近年は次第に緩和される傾向にあり,ヨーロッパやアメリカでは大幅に許容されるにいたった。

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