コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

泉藩 いずみはん

2件 の用語解説(泉藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

泉藩
いずみはん

江戸時代,陸奥国菊多郡泉地方 (福島県) を領有した譜代小藩。寛永5 (1628) 年磐城平藩主内藤忠興の弟政晴の2万石分知に始る。元禄 15 (1702) 年板倉氏1万 5000石に代り,延享3 (46) 年以後本多氏1万 5000~2万 5000石で廃藩置県に及ぶ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

泉藩
いずみはん

陸奥(むつ)国菊多(きくた)郡泉(福島県いわき市)に藩庁を置き、菊多、磐前(いわさき)、磐城(いわき)3郡内に領地を有した譜代(ふだい)小藩。1634年(寛永11)内藤忠興(ただおき)が磐城平(たいら)藩7万石を継いだ際、3郡内の2万石を弟政晴(まさはる)に分封して成立。2代政親(まさちか)(若年寄)のとき1668年(寛文8)に泉に居館を移し、隣村滝尻(たきじり)に城下町を造営した。1702年(元禄15)3代政森(まさもり)のとき上野(こうずけ)国(群馬県)安中(あんなか)に移封され、入れ替わりに同地より板倉重同(しげあつ)が1万5000石で入封、1746年(延享3)にはその子勝清(若年寄、のち老中)が遠江(とおとうみ)国(静岡県)相良(さがら)に移封、かわって相良より本多忠如(ただゆき)が1万5000石で入封、以来泉藩は本多氏の支配するところとなった。本多忠如の子忠籌(ただかず)は1754年(宝暦4)に16歳で襲封し、ただちに藩政改革に着手、81年(天明1)までに借財を整理したうえに1万両の蓄財に成功、その手腕を後の経世学者佐藤信淵(のぶひろ)がその著『経済要録』のなかで賞賛している。忠籌のこの財政再建策が老中松平定信(さだのぶ)に買われ、87年若年寄、翌年側用人(そばようにん)となって寛政(かんせい)の改革に参画、老中格に昇進して武蔵(むさし)国埼玉、上野国勢田(せた)両郡内に5000石を加増され知行(ちぎょう)高は2万石となった。その後、忠誠(ただしげ)、忠知(ただとも)、忠徳(ただのり)、忠紀(ただとし)、忠伸(ただのぶ)と7代まで続いたが、1868年(明治1)忠紀のとき、奥羽越列藩同盟に荷担して新政府に対立したため2000石を減封され、71年、忠伸の代で廃藩。泉県、平県、磐前県を経て福島県に編入された。[庄司吉之助]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

泉藩の関連キーワード菊多摺り陸奥国紙白河越え福島県西白河郡泉崎村泉崎福島県西白河郡泉崎村福島県西白河郡泉崎村太田川福島県西白河郡泉崎村北平山福島県西白河郡泉崎村関和久福島県西白河郡泉崎村踏瀬佐伯隆基

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

泉藩の関連情報