朝日日本歴史人物事典 「本多正珍」の解説
本多正珍
生年:宝永7.7.8(1710.8.2)
江戸中期の老中。正矩の子。享保20(1735)年10月駿河国田中藩(静岡県藤枝市)藩主就任。延享3(1746)年老中。宝暦4(1754)年にはじまる美濃国郡上藩(岐阜県郡上八幡町)で起きた一揆は,郡上藩金森氏の改易のみならず,藩主金森頼錦の縁者であることから同藩の施政に介入し事態を悪化させた遠江国相良藩(静岡県相良町)藩主西丸若年寄本多忠央の罷免・改易をもたらした。同じく頼錦の縁者である正珍もこれに巻き込まれ,同8年9月老中を罷免された。この背景には他老中との政争もあった。一揆と幕閣内の政争が複雑に絡み合い,その犠牲者となった人物である。<参考文献>山田忠雄「宝暦~明和期の百姓一揆」(『日本経済史体系』4巻)
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報