本小轡村(読み)ほんこぐつわむら

日本歴史地名大系 「本小轡村」の解説

本小轡村
ほんこぐつわむら

[現在地名]茂原市本小轡・東郷とうごう

谷本やもと村の北西に位置する。初め西の新小轡村とともに小轡村に含まれていた。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に小轡村とみえ、高一三二石。寛永一〇年(一六三三)年貢割付状(藤乗家文書)では小轡村として高二八八石余。以下各年の年貢割付状(同文書)にみえる村名・村高は、同一四年に小轡村高五六三石、同一七年に本小轡村高二八八石、同一九年高根領小轡村高五三二石余、同二〇年に千葉領小轡本村高二七一石余などとあるが、五〇〇石台の村高は新小轡村を含むと考えられる。寛永一〇年の高二八八石余に対し、同二〇年には高二七一石余、その差約一七石は同一七年に東金御鷹場新とうがねおたかばしん道がつくられたときの当村減歩分とされる(元禄四年「口書」同文書)。明暦二年(一六五六)百姓の訴えが原因となったと思われる地詰検地が行われ、本高二七一石余のうち高不足一七五石、有高九五石余と確定され(「村高御定書付」同文書)、以後年貢諸役は有高によって定められた。元禄郷帳では高二七七石余、寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高二〇一石余、家数三八。

慶長年間(一五九六―一六一五)旗本菅原領、寛永二年幕府領、同一九年佐倉藩領、万治三年(一六六〇)幕府領、寛文元年(一六六一)旗本渡辺領、元文三年(一七三八)・寛政五年・天保九年(一八三八)は同領と幕府領の相給という(藤乗家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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