国指定史跡ガイド 「本居宣長墓〈山室山〉」の解説
もとおりのりながのはか〈やまむろやま〉【本居宣長墓〈山室山〉】
三重県松阪市山室町にある墓所。山室の妙楽寺山頂に位置し、木立の向こうには松阪の町や遠く三河、富士の頂まで望めたという、江戸時代後期の国学者本居宣長の奥墓(おくつき)。1936年(昭和11)、国の史跡に指定された。墓石には「本居宣長之奥墓」(自筆)と刻まれ、背後には宣長が好きだった山桜が植えられている。1801年(享和1)9月29日(新暦の11月5日)、72歳でその生涯を閉じた宣長は、その前年に子の春庭(はるにわ)と春村(はるむら)にあてた遺言書で、この奥墓について墓地の面積や、塚を築くこと、塚の上に山桜を植えること、塚の高さ、塚に芝を貼ること、墓の点検を怠らないことを記した。墓碑銘や墓完成図なども添えられて、彼の奥墓に対するこだわりの深さがわかる。墓はほぼ遺言書に基づいて設計されたが、1875年(明治8)に山室山神社が創建され、付近の景観は大きく様変わりした。1999年(平成11)に現在の墓が建てられた。「山室に 千とせの春の 宿しめて 風にしられぬ 花をこそ見め」と詠んだこの歌は、亡くなる1年前に門人たちとこの地に遊び、墓所を選定した時のものである。JR紀勢本線ほか松阪駅から三重交通バス「中部中学校前」下車、徒歩約30分。