国指定史跡ガイド 「本居宣長墓〈樹敬寺〉」の解説
もとおりのりながのはか〈じゅきょうじ〉【本居宣長墓〈樹敬寺〉】
三重県松坂市新町にある墓所。指定名称は「本居宣長墓〈樹敬寺〉 附本居春庭墓」。本居宣長の菩提寺、樹敬寺にある墓。宣長の墓は2つあり、もう一つは山室(やまむろ)の地にある奥墓(おくつき)である。樹敬寺は少年時代の宣長に大きな影響を与えた寺で、塔頭嶺松院(れいしょういん)の歌会には44年にわたって参加した。奥墓が晩年に仏教を廃した宣長の思想の象徴とすれば、妻や家族と眠るこの墓は社会の一員、また宣長の祖先である小津(おづ)家と本居家の当主としての自覚の象徴である。碑面には宣長と妻、勝の戒名である「高岳院石上道啓居士」と「円明院清室恵鏡大姉」(宣長筆)が刻まれている。その背後には、長男の春庭と妻、壱岐(いき)の墓があり、ともに1936年(昭和11)に国の史跡に指定された。またこの墓地には、歴代小津家とその子孫である本居家の計26基の墓があり、宣長は遺言書に「道休大徳御墓之右隣へつづけ……」と記したが、遺言どおり曽祖父の小津三郎右衛門(道休)の右隣に墓がある。JR紀勢本線ほか松阪駅から徒歩約10分。