本島等 もとしま-ひとし
1922-2014 昭和後期-平成時代の政治家。
大正11年2月20日生まれ。陸軍教育隊の教官,高校教師,代議士秘書,長崎県議をへて,昭和54年長崎市長となり,4期つとめる。63年市議会での答弁で「天皇の戦争責任はあると私は思います」(議事録)と発言。平成2年右翼に銃撃され重傷を負う。この事件をめぐり,「長崎市長への七三○○通の手紙」が出版された。平成26年10月31日死去。92歳。長崎県出身。京大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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本島 等 (もとしま ひとし)
生年月日:1922年2月20日
昭和時代;平成時代の長崎市長
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の本島等の言及
【昭和天皇】より
…また各自治体はこぞって天皇の病気回復を祈念する記帳所を設置し,全国で600万に及ぶ〈記帳〉が行われた。天皇の戦争責任を追及する集会や発言などへの右翼の圧迫も強まり,同年12月の議会で天皇にも戦争責任があると発言した長崎市長本島等に対しては右翼の脅迫が相次ぎ,後に狙撃された。こうした〈天皇現象〉に,諸外国のマスコミもいっせいに批判的報道を行った。…
※「本島等」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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