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本木庄左衛門 モトキショウザエモン

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デジタル大辞泉の解説

もとき‐しょうざえもん〔‐シヤウザヱモン〕【本木庄左衛門】

[1767~1822]江戸後期のオランダ通詞。長崎の人。良永の長子。名は正栄。号は蘭汀。フランス語・英語も修得し、日本で最初の英和辞書「諳厄利亜(アンゲリア)語林大成」、最初のフランス語学書「払郎察(フランス)辞範」などを編纂した。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本木庄左衛門 もとき-しょうざえもん

1767-1822 江戸時代後期のオランダ通詞。
明和4年3月28日生まれ。本木良永の長男。幕命でオランダ商館長ズーフブロンホフにフランス語,英語をまなぶ。文化8年(1811)英語学書「諳厄利亜興学小筌(アンゲリアこうがくしょうせん)」,11年吉雄権之助らと日本初の英和辞書「諳厄利亜語林大成」を編集した。文政5年3月13日死去。56歳。肥前長崎出身。名は正栄。号は蘭汀。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

本木庄左衛門

没年:文政5(1822)
生年:明和4(1767)
江戸後期の阿蘭陀通詞。名は正栄。父は蘭学者本木良永。文化5(1808)年,幕命により他の通詞達とドゥーフについてフランス語学習を始める。のちに皆とその学習の成果を,マーリンの『ヌーベル・メトード(フランス語入門)』の重要な部分を訳して,『払郎察辞範』(発音,単語)および『和仏蘭対訳語林』(文法,会話)という写本に残した。同6年,やはり通詞達と英語学習をおこない,ブロンホフの指導を受ける。同8年に,『諳厄利亜興学小筌』(単語,会話)を編纂。同11年には『暗厄利亜語林大成』(英和辞書)を完成。オランダ語を基礎外国語としてフランス語,英語の研究を進め,蘭学から洋学への橋渡し役を務めた。

(田中貞夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

もときしょうざえもん【本木庄左衛門】

1767~1822) 江戸後期のオランダ通詞・洋学者。長崎の人。良永の長男。名は正栄、号は蘭汀。オランダ語のみならず、ズーフについてフランス語、ブロムホフについて英語を学び、日本最初の英語学書「諳厄利亜アングリア興学小筌」「諳厄利亜語林大成」、また最初のフランス語学書「払郎察フランス辞範」を編纂へんさんした。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の本木庄左衛門の言及

【フランス】より


[幕末]
 1807年ロシアのフボストフとダビドフはサハリン(樺太)と択捉(えとろふ)島を襲い,番人を拉致して箱館奉行あてに書簡を置いていった。これがフランス語であったため,幕府はオランダ商館長H.ドゥーフに翻訳を依頼するとともに,オランダ通詞本木庄左衛門(1767‐1822),馬場佐十郎に命じてドゥーフからフランス語を学ばせた。これが公式のフランス語学習の初めである。…

【フランス語】より


【日本におけるフランス語教育】
 日本でフランス語が学習され始めたのは19世紀初頭,長崎の地においてである。開国を迫る外圧が高まるにつれ,オランダ語以外の西洋語を理解する必要を感じた徳川幕府は,1808年(文化5),本木(もとき)庄左衛門(正栄とも。1767‐1822)ほか5名のオランダ通詞にフランス語学習を命じたのであった。…

※「本木庄左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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