本神明町(読み)もとしんめいちよう

日本歴史地名大系 「本神明町」の解説

本神明町
もとしんめいちよう

下京区富小路通五条上ル

南北に通る富小路とみのこうじ通を挟む両側町。

平安京条坊では左京六条四坊四保一〇町の地。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「下神明町」とみえるが、天保年間(一八三〇―四四)頃、現町名に変更された(坊目誌)。町内には、左大臣源融の遥拝の地と伝える神明社が鎮座し、中世までは影向の榎とよばれる榎樹が一株残っていたという。天明八年(一七八八)・元治元年(一八六四)の両度の大火に類焼したがその後も存続し、明治一五年(一八八二)有隣ゆうりん小学校の校地移転に伴って、今熊野いまぐまのつるぎ神社(現東山区)境内に遷座した(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む