本間氏(読み)ほんまうじ

改訂新版 世界大百科事典 「本間氏」の意味・わかりやすい解説

本間氏 (ほんまうじ)

佐渡国の国人。本間氏は相模本領をもつ御家人で,承久の乱で佐渡に地頭職を得た。史料上の初見は,1271年(文永8)日蓮の佐渡配流が決定されたとき,〈ほんま(本間)のいち(依智)と申ところに,いち(依智)の六郎左衛門尉殿の代官右馬太郎と申者あづかりて〉(日蓮遺文〈種々御振舞御書〉)とあり,別書により,この本間六郎左衛門が佐渡の守護所にいたことがわかる。佐渡は北条氏の得宗領であるから,本間氏は守護代に任ぜられたのであろう。以後史料には85年(弘安8)羽茂(はもち)・木浦郷代官職の本間宣定(《佐渡志》),1344年(興国5・康永3)石田郷地頭本間兵衛入道(本田寺文書)などの名が見える。室町期には一族が数家に分かれて各地を領有するが,永正期(1504-21)にいたって長尾為景と結ぶ者も現れた。越中で軍に敗れた長尾為景が佐渡羽茂に逃げ,再興して上杉氏を討ったことが知られている。宮浦慶宮寺の大蔵経裏書によると,大永期(1521-28)から各地国人の間に戦が起こり,一国が戦乱のちまたとなっている。その後1589年(天正17)上杉景勝の佐渡攻めで国人本間氏は滅亡した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の本間氏の言及

【佐渡国】より

…【山田 英雄】
【中世】
 史料の上で明確とされる新穂荘(《近江国日吉神社社領注進記》元応1年)を除いて佐渡は国衙領であった。中世になると荘園・国衙領に郷地頭が置かれたが,佐渡には相模国から本間氏,藍原氏,土屋氏,渋谷氏などが地頭に任命された。本間氏は羽茂木野浦,河原田,波多,雑太,久知郷,藍原氏は吉井郷,渋谷氏は加茂郷,土屋氏は新穂荘の地頭職に任ぜられた(それらの地域には同名字がひろく分布している)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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