朱士行(読み)しゅしこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱士行」の意味・わかりやすい解説

朱士行
しゅしこう

生没年不詳。中国、三国時代の僧。3世紀に漢人として初めて西域求法(せいいきぐほう)の旅に出たことで知られる。潁川(えいせん)(河南省許州の北東)の人。出家して経典を究め、洛陽(らくよう)で『道行般若経(どうぎょうはんにゃきょう)』を講じたが、往々にして意味が通じないことを嘆き、ついに260年(甘露5、一説に261年)于闐(うてん)(ホータン)に行き、『般若経』の原本を得て、282年(太康3)弟子の弗如檀(ふつにょだん)(法饒(ほうにょう))らをして洛陽に将来させた。朱士行は于闐において80歳で没したが、彼のもたらした経典は、291年(元康1)に無羅叉(むらしゃ)と河南の竺叔蘭(じくしゅくらん)によって『放光般若経』20巻として訳出され、西晋(せいしん)の般若研究に貢献した。

[伊藤隆寿 2017年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「朱士行」の意味・わかりやすい解説

朱士行 (しゅしぎょう)
Zhū Shì xìng

中国,三国魏の僧。生没年不詳。中国人として最初の出家僧かつ最初の求法僧。潁川(河南省許昌県)の人。洛陽で受戒し,支婁迦讖(しるかせん)の訳した《道行般若経》を講じていたが,文意が通じないのを不満とし,260年,その完本たる大品を求めてインドに向けて旅立ち,途中のホータン(于闐)で原本を入手し,弟子の弗如檀に持ち帰らせた。291年に竺叔蘭らが《放光般若経》として漢訳したが,彼自身はホータンにおいて80歳で没した。
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世界大百科事典(旧版)内の朱士行の言及

【僧】より

…当時は出家するといっても剃髪するだけで,出家の儀式は整っていなかった。3世紀中ごろ戒律が伝訳され,これによって朱士行が漢人として初めて受戒し,以後,漢人の出家する者がしだいに多くなった。やや遅れて,女性の出家すなわち比丘尼もあらわれた。…

※「朱士行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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