新撰 芸能人物事典 明治~平成 「朱里みさを」の解説
朱里 みさを
シュリ ミサオ
- 職業
- 振付師 舞踊家
- 専門
- ジャズダンス
- 肩書
- 朱里みさをダンスカンパニー主宰
- 本名
- 田辺 藤枝
- 別名
- 旧芸名=橘 晴美
- 出生地
- 島根県 簸川郡乙立村(出雲市)
- 経歴
- 島根県の宮司の娘。7歳で父を失い、生家の借金の礼として9歳で年季奉公に出された。その後、上京した叔父の家の隣が橘秋子バレエ研究所で、橘の内弟子となった。師のもとを飛び出して浅草オペラ座で初仕事。同年花月劇場に出た際、芸名を橘晴美から朱里みさをにした。昭和32年渡米、ラスベガスでの「オリエンタル・ファンタジー」を皮切りに、テレビの「ディーン・マーチン・ショー」「カーメン・カバレロ・ショー」「エド・サリバンショー」などに出演。帰国後、36年宝塚歌劇団に舞踊講師、振付師として迎えられる。傍ら、ミュージカルを製作。「赤坂ミュージカル」と名付け公演を重ね、37年芸術祭文部大臣奨励賞を受賞。61年朱里みさをダンスカンパニー設立し、「白鳥の湖ジャズバージョン」などを公演。平成2年台湾政府主催「赤い靴」「カルメン」の演出・振付を担当。自伝「人生はザ・オーディション」がある。
- 受賞
- 芸術祭賞文部大臣奨励賞〔昭和37年〕
- 没年月日
- 平成11年 3月9日 (1999年)
- 家族
- 二女=朱里 エイコ(歌手)
- 伝記
- 人生はザ・オーディション 朱里 みさを 著(発行元 白馬出版 ’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報