杉山宗立(読み)すぎやま・そうりゅう

朝日日本歴史人物事典 「杉山宗立」の解説

杉山宗立

没年:安政5.2.29(1858.4.12)
生年:安永5(1776)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)三田尻古浜の塩田業杉山嘉右衛門の3男。名は澄淵,字は子卓,通称は宗立,橙園と号した。儒学を兄の良哉に,医学を三田尻の医家高田宗伯に学んだ。寛政12(1800)年ごろ,三田尻の佐伯玄厚を指導者として蘭学を研究。これが周防,長門における蘭学研究のはじめである。文化8(1811)年長崎に遊学,文政2(1819)年には人痘法を自ら長女および次女に試みた。5年春には乳癌の手術を行った。8年長崎で岡研介の通訳によりシーボルト診療や手術を見学。9年1月,江戸参府途次のシーボルトに対し,下関で『海塩の製造法』と題する蘭訳論文を提出した。自家の製塩法を述べたもので,筆跡から戸塚静海の代筆と推定されている。天保10(1839)年長州藩の一門家老毛利内匠の侍医となる。嘉永2(1849)年藩内に牛痘接種が実施されると率先してこれを行い,手記『引痘諸記』を残した。<参考文献>田中助一『防長医学史』

(田中助一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉山宗立」の解説

杉山宗立 すぎやま-そうりゅう

1776-1859 江戸時代後期の医師
安永5年8月16日生まれ。生家は周防(すおう)(山口県)三田尻で塩田業をいとなむ。同地で医学,蘭学をまなぶ。文政8年長崎にいきシーボルトの診療を見学。9年シーボルトに「海塩の製造法」(蘭訳)を提出。のち萩(はぎ)藩家老の侍医となる。安政6年6月8日死去。84歳。名は澄淵。字(あざな)は子卓。号は橙園。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「杉山宗立」の解説

杉山宗立 (すぎやまそうりゅう)

生年月日:1776年8月16日
江戸時代後期の蘭方医
1859年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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