朝日日本歴史人物事典 「杉山宗立」の解説
杉山宗立
生年:安永5(1776)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)三田尻古浜の塩田業杉山嘉右衛門の3男。名は澄淵,字は子卓,通称は宗立,橙園と号した。儒学を兄の良哉に,医学を三田尻の医家高田宗伯に学んだ。寛政12(1800)年ごろ,三田尻の佐伯玄厚を指導者として蘭学を研究。これが周防,長門における蘭学研究のはじめである。文化8(1811)年長崎に遊学,文政2(1819)年には人痘法を自ら長女および次女に試みた。5年春には乳癌の手術を行った。8年長崎で岡研介の通訳によりシーボルトの診療や手術を見学。9年1月,江戸参府途次のシーボルトに対し,下関で『海塩の製造法』と題する蘭訳論文を提出した。自家の製塩法を述べたもので,筆跡から戸塚静海の代筆と推定されている。天保10(1839)年長州藩の一門家老毛利内匠の侍医となる。嘉永2(1849)年藩内に牛痘接種が実施されると率先してこれを行い,手記『引痘諸記』を残した。<参考文献>田中助一『防長医学史』
(田中助一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報