村上キワエ(読み)ムラカミ キワエ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「村上キワエ」の解説

村上 キワエ
ムラカミ キワエ


職業
芸者

肩書
松山検番顧問

別名
源氏名=鷹子,お友

生年月日
明治13年 12月25日

出生地
愛媛県 越智郡大山村(今治市)

経歴
14歳のとき広島芸者置屋に預けられ、芸者として花柳界に出る。はじめ鷹子を名乗り大阪で活動するが、のちにその名を妹に譲り、先輩の名を貰ってお友を称した。その後、松山に移り、主に梅廼家で活躍。昭和21年松山検番を設立。数人の芸妓からはじめた同検番は、最盛期には60人を擁する大所帯となり、彼女は後進長唄小唄日本舞踊指導した。また、正調伊予節の保護にも力を尽くし、美声を披露し続けた。

没年月日
昭和48年 1月30日 (1973年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「村上キワエ」の解説

村上 キワエ
ムラカミ キワエ

明治〜昭和期の芸者 松山検番顧問。



生年
明治13(1880)年12月25日

没年
昭和48(1973)年1月30日

出生地
愛媛県越智郡大山村(現・吉海町)

別名
源氏名=鷹子,お友

経歴
14歳のとき広島の芸者置屋に預けられ、芸者として花柳界に出る。はじめ鷹子を名乗り大阪で活動するが、のちにその名を妹に譲り、先輩の名を貰ってお友を称した。その後、松山に移り、主に梅廼家で活躍。昭和21年松山検番を設立。数人の芸妓からはじめた同検番は、最盛期には60人を擁する大所帯となり、後進に長唄や小唄・日本舞踊を指導した。また、正調伊予節の保護にも力を尽くし、美声を披露し続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上キワエ」の解説

村上キワエ むらかみ-キワエ

1880-1973 明治-昭和時代の芸者。
明治13年12月25日生まれ。14歳のとき広島の花柳界にでる。のち大阪から松山へうつり梅廼家(うめのや)で活躍。昭和21年松山検番を設立。長唄,小唄や日本舞踊を指導,正調伊予節をまもりつづけた。昭和48年1月30日死去。92歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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