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小唄 こうた

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小唄
こうた

日本音楽のジャンル名。「江戸小唄」「早間小唄」などともいう。三味線声曲の一つで小編の歌曲。江戸時代後期の流行歌曲である江戸の端唄の影響を受けて,清元節の作曲家から発生したといわれる。

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デジタル大辞泉の解説

こ‐うた【小唄】

小歌(こうた)3」に同じ。
三味線音楽の一種。端唄(はうた)から変化した、三味線のつま弾きを伴奏とする短い歌曲。江戸末期に発生し、現代に及ぶ。江戸小唄。早間(はやま)小唄。
明治末期から昭和にかけて、主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。俗曲・小唄2民謡などの調べを持つもののほか、新作も多く、内容は多様。

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百科事典マイペディアの解説

小唄【こうた】

邦楽の種目名。三味線伴奏の歌曲の一つ。江戸末期に清元節の人たちが余技的に作曲し始めたもので,初期には端唄(はうた)に近かったが,明治中期ころから小唄独特の皮肉な歌詞,曲調が現れた。
→関連項目俗曲

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日本文化いろは事典の解説

小唄

日本音楽の声楽曲の中で小編の歌謡の事。江戸時代末期に端唄〔はうた〕から派生した三味線小歌曲で演奏時間は3〜4分程度のものです。

出典|シナジーマーティング(株)
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音楽用語ダスの解説

小唄

江戸端歌から発生した三味線音楽のひとつ。

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大辞林 第三版の解説

こうた【小唄】

小歌こうた 」に同じ。
明治末期から昭和初期までに主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。江戸時代以来の端唄・俗曲・民謡をも含み、新作流行歌もあって内容は雑多だが、概して日本調の歌をさした。
邦楽の一種目。三味線の爪弾きで伴奏する小歌曲。江戸末期流行の端唄を源流とし、の一部の様式化として大正時代に成立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小唄
こうた

邦楽の種目名。演奏時間の短い(3~4分程度)三味線歌曲で、創始者の清元お葉(きよもとおよう)(1840―1901)は2世清元延寿太夫(えんじゅだゆう)の娘で、4世清元延寿太夫の妻。1855年(安政2)開曲(初演)した『散るはうき』が評判となり、小唄の礎(いしずえ)をつくったが、今日の形になったのは明治時代後期である。
 古くから江戸庶民の間で流行した端唄(はうた)に品位をもたせ、きめ細かくていねいに歌うという趣旨にのっとり、幕末の弘化(こうか)・嘉永(かえい)(1844~54)のころ、うた沢という一流が派生する。一方、豊後(ぶんご)三流(富本(とみもと)、常磐津(ときわず)、清元)の曲中に端唄を取り入れ、情調を高める手法がしばしば用いられていたが、なかでも狂言作者河竹黙阿弥(もくあみ)(1816―93)と4世清元延寿太夫(1832―1904)の提携により、清元節が芝居と密接な関係で結ばれるにつれて、艶冶(えんや)な場面にはきまって端唄を挟む慣習が生じた。そこで新狂言の書き下ろしの歌詞には清元の演奏家が創意工夫を凝らし、早間(はやま)の軽やかな曲調で節付けをするので自然と清元がかった端唄となり、また余技に小品の作曲を手がけたことが、現今の小唄への発展につながる機運を醸成した。
 明治になって、花街で興じる貴紳富豪の間でも、こういった短い小唄への同好者が増した。そして旧来の粋(いき)でつややかな曲想には飽き足らず、洒落(しゃれ)やうがちを盛り込んだ歌詞に皮肉な手のこんだ曲調がつけられるようになる。傑出した作曲者には清元お葉、2世梅吉、初世・2世菊寿太夫、3世順三、3世斎兵衛らのやはり清元畑の連中や、都以中(みやこいちゅう)らがある。紳商では、東明流(とうめいりゅう)の創始者となった平岡吟舟(ぎんしゅう)(1856―1934)が自作・自調で天賦の芸才を発揮した小唄の鼓吹者であり、後援者ともなって新しい道を開いた。ほかに川田小一郎、三村周、関西では平瀬露香が功労者として著名である。また江戸音曲に造詣(ぞうけい)の深い通人の永井素岳(そがく)(1849―1915)は、日本橋に住居していたので、花街を通じて実践的な育成者として寄与し、後年家元を名のった田村てるや吉村ゆうに多大の影響を与えた。お葉に清元節を習っていた横山さき(1863―1919)は、大正の初期、芝で稽古(けいこ)所を開き、大正後期に湯朝竹山人(ゆあさちくさんじん)の名づけた「早間(はやま)小唄」や英十三(はなぶさじゅうざ)の呼称した「江戸小唄」の先鞭(せんべん)者として指導にあたり、堀小多満(こたま)(1917年小唄最初の家元を名のる)や金子千代吉らを教えた。また浮世絵商を営む村幸(むらこう)こと村田久吉(1888―1926)は、素岳やさきから手ほどきを受け、唄、三味線ともに優れた技量を備えていたが、このあたりから定着してゆく小唄特有の爪弾(つまび)きの奏法について細心の留意を払った。大正末期からは、清元菊之輔(きくのすけ)を名のった吉田草紙庵(そうしあん)が小唄の作曲に専念し、著名な歌舞伎(かぶき)狂言を小唄にうつした芝居小唄を創案した。また舞踊と結んで「小唄振り」を広め、レコード吹き込みへの進出など、従前の「小唄深爪呂(ふかづめりょ)のまわし」といった座敷で楽しむ遊戯三昧(ざんまい)の趣向から脱却して、聴衆を意識した舞台向きの親しみやすい方向へと転換を図った。一方、春日(かすが)とよ(1881―1962)は新派の名作を小唄化するなど、大衆娯楽としての体質改善を企て、小唄を家庭内にまで浸透させた。春日とよ亡き後、同派は家元制をとらず門下により財団法人「春日会」として運営されている。
 第二次世界大戦後の1952年(昭和27)ごろからの一時期、ゴルフ、碁、小唄を総称して「三ゴ時代」ともてはやされる繁栄ぶりを招来した。そして3世清元梅吉(寿兵衛)、長唄の山田抄太郎(しょうたろう)、中山小十郎らの手がける新曲や、富士松(ふじまつ)亀三郎の提唱する「新内小唄」や、民謡を挟んだ小曲などが愛好され、200に近い家元ができて、時代の趨勢(すうせい)に呼応して新分野の開拓に余念のない活動が続けられている。
 小唄の特色は、爪弾きが原則であるが、爪弾きといっても、親指で人差し指の腹を押し、指頭の片側の肉を盛り上げてまろやかな音を出す。歌い出しは後奏の手(旋律)のごく一部を前弾(まえびき)にひき、唄の終わりに後奏、オクリという三味線の手がつくものがある。替手の入るものもあり、三味線の間に唄を盛り込みのせてゆくところに味がある。しかし、古典曲以外では、現代小唄作曲家グループ、小唄火星会(小唄作詞同人の会)などが時勢に即応した新曲を創作し、視野を広げて小唄本来の特色を再認識しようとする機運が高まり、日本小唄連盟、小唄彩(あや)の会(小唄演奏家同人の会)などがそれを実践に移しつつある。[林喜代弘・守谷幸則]
『湯朝竹山人著『はやま小唄全集』(1923・法木書店) ▽英十三著『江戸小唄の話』(1950・文川堂書房) ▽千紫会編・刊『註釋小唄控』(1958) ▽木村菊太郎著『江戸小唄』『小唄鑑賞』(1964、66・演劇出版社)』

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