村木村(読み)むらぎむら

日本歴史地名大系 「村木村」の解説

村木村
むらぎむら

[現在地名]伊吹町村木

大清水おしみず村の南西、西流する天野あまの川右岸に立地。永正一六年(一五一九)正月二五日の藤三郎下地売券(川瀬文書)に「柏原庄宝上郷大塚たつミ菖蒲原北」とあり、「菖蒲原」は当地宮西みやにし内の字地名菖蒲原しようぶはらに比定できる。寛永石高帳に村名がみえ高五四四石余、彦根藩領(幕末に至る)。慶安五年(一六五二)の検地帳写(中西文書)によれば田三四町八反余・四二八石余、畑一三町一反余・六四石余、屋敷一町三反余・一三石余。元禄八年大洞弁天寄進帳では人数二三一、うち寺社方四。元禄七年(一六九四)中山道柏原かしわばら宿(現山東町)の助郷村となった(柏原区有文書)


村木村
むらきむら

[現在地名]東浦町森岡もりおか

東はさかい川、南は緒川おがわ村、西は半月はんつき(現大府市)に接する。東浦街道沿いにあり、村内は北島きたじま中切なかぎり南島みなみじまの三組に分れる(徇行記)

「寛文覚書」によれば、概高一千一七八石二斗余で、田方五二町余、畑方二一町余、家数七六、人数四八八、大通行には鳴海なるみ宿(現名古屋市)へ人馬を出すとある。同書にある塩浜六町四反余は、「地方古義」に「塩浜五町五反六畝十四歩 上納米六石五斗九升六合、内二反四畝十五歩は三州苅屋城先き近候故、宝永四亥年より堤操込、野跡に成候得共、御年貢は惣浜之割かけ上納仕候」という。


村木村
むらきむら

[現在地名]可児市広見ひろみ

蛇行しながら南流する可児川東岸にあり、北は小作こづくり村。伊香いこう七ヵ村の一。元禄郷帳に村名がみえ、旗本中川領。元禄一三年(一七〇〇)の反別・五人組帳(可児市教育委員会蔵)によれば家数二九(うち寺一)・人数一五二、馬八。享保一三年(一七二八)当村・乗里のりさと下田尻しもたじりの三ヵ村は免相の引下げに続き五〇石の延納を再び願出ている(「延納願」渡辺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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