村瀬玄妙(読み)ムラセ ゲンミョウ

20世紀日本人名事典 「村瀬玄妙」の解説

村瀬 玄妙
ムラセ ゲンミョウ

昭和期の僧侶 緑樹院住職;元・黄檗宗管長。



生年
大正2(1913)年1月17日

没年
昭和63(1988)年2月13日

出生地
長野県北佐久郡御代田町

出身地
京都府宇治市(本籍)

学歴〔年〕
禅門高等学院〔昭和12年〕卒

経歴
9才で浅間山普賢寺の第25代玄門老大和尚に就き得度。旧制中学卒後、19才で京都へ。その後、3年間禅門高等学院で学び、禅僧修行に入る。黄檗宗大本山禅堂の職員を経て、のち緑樹院住職。昭和46年万福寺山内に“青少年文化研修道場”を開設。55年から62年まで第57代黄檗宗管長を務めた。「怒るな焦るな諦めるな」「坐禅への誘い」「転んだら起きればいい」などの著書をもつ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村瀬玄妙」の解説

村瀬玄妙 むらせ-げんみょう

1913-1988 昭和時代の僧。
大正2年1月17日生まれ。京都府宇治の黄檗宗(おうばくしゅう)万福寺で修行,のち同寺の緑樹院住職となる。昭和46年山内に青少年文化研修道場をひらく。55-62年黄檗宗管長。昭和63年2月13日死去。75歳。長野県出身。禅門高等学院卒。著作に「転んだら起きればよい」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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