来福村(読み)らいふくむら

日本歴史地名大系 「来福村」の解説

来福村
らいふくむら

[現在地名]大東町千浜ちはま

現大東町の南東端に位置し、きく(国安川)の下流域にある。東は合戸ごうど(現浜岡町)など、西は成行なりゆき村、南は海(遠州灘)に面する。大永三年(一五二三)一一月二一日の由比光規譲状写(御感状之写並書翰)に「遠州来福村」とみえ、光規の時に下された所領と注記されて寅寿丸(光澄)譲与されている。永禄一一年(一五六八)九月二七日の今川氏真判物(写、同文書)は光澄から光資への譲与を安堵し、「弐拾五貫文 来福」も含まれる。また坂里さかさと柴山しばやま神社に伝来した天文一九年(一五五〇)三月の懸仏銘に「笠原庄来福村願主七郎右衛門」とみえる。

慶長一一年(一六〇六)の如水外来福村等開発手形(笠原文書)に「来ふく」ほかの新田開発のことがみえ、翌年から年貢を納めるよう定められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む