日本歴史地名大系 「東三条内裏跡」の解説 東三条内裏跡ひがしさんじようだいりあと 京都市:中京区初音学区曇華院前町東三条内裏跡白河天皇以後、順徳天皇に至るまで多くの天皇が用いた里内裏の一つ。三条烏丸御所(からすまごしよ)・三条東洞院第(ひがしのとういんだい)ともいう。「拾芥抄」東京図によれば、三条北・東洞院西・烏丸東・姉小路南の方一町に「東三条内裏」と記す。この地は現曇華院前(どんげいんまえ)町西側・車屋町南側・場之(ばの)町東側・梅忠(うめただ)町北側にあたる。「百錬抄」応徳元年(一〇八四)二月一一日条に「遷幸三条内裏」とあり、白河天皇がこの内裏に遷御したのを初見に、保安四年(一一二三)には鳥羽天皇も「三条烏丸御所」へ移ったことがみえる(「百錬抄」同年二月二日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by