東五十子村(読み)ひがしいかつこむら

日本歴史地名大系 「東五十子村」の解説

東五十子村
ひがしいかつこむら

[現在地名]本庄市東五十子など

南を本庄台地を開析する小山(こやま)川、北を女堀(おんなぼり)川に挟まれた村で、集落は台地上にある。南から東にかけて小山川を隔てては榛沢(はんざわ)郡榛沢村・西田(にしだ)村(現岡部町)、女堀川を隔てた鵜森(うのもり)村に飛地がある。中世には五十子のうちに含まれる。

寛永二年(一六二五)一二月、真方五平治は徳川氏から五十子村で一五〇石と開発地五石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿には五十子村とみえ、田方一五八石余・畑方三二八石余、諏訪氏など旗本四家の相給。元禄期(一六八八―一七〇四)に当村と西五十子村に分村し(風土記稿)、元禄郷帳・国立史料館本元禄郷帳では「東五十子(いかご)村」と記され、高二三九石余、旗本諏訪・佐久間の二家の相給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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