林田藩(読み)はやしだはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「林田藩」の意味・わかりやすい解説

林田藩
はやしだはん

播磨(はりま)国(兵庫県)揖東(いっとう)郡に置かれた外様(とざま)大名建部(たけべ)氏の藩。1万石余。1614年(慶長19)と翌年の大坂の陣に功あったとして、摂津尼崎(せっつあまがさき)郡代建部政長(まさなが)は700石の知行から1万石に加増を受け、17年(元和3)揖東郡に移り、林田(姫路市内)に陣屋を構えた。藩領38か村は良田に恵まれ、5000石に及ぶ新田もあり、政長の子政宇(まさのき)は伏見奉行(ふしみぶぎょう)、寺社奉行などの要職についた。寛政(かんせい)年間(1789~1801)藩校敬業館を創設した。建部政世(まさよ)に至って1871年(明治4)廃藩置県となった。林田県、姫路県、飾磨(しかま)県を経て76年兵庫県に編入

小林 茂]

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デジタル大辞泉プラス 「林田藩」の解説

林田藩

播磨国、林田(現:兵庫県姫路市)を本拠地とした外様の小藩。大坂の陣で功績のあった摂津国尼崎の郡代、建部(たけべ)氏が元和年間に1万石で播磨国に移り、林田に陣屋を構えたのが起源

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世界大百科事典(旧版)内の林田藩の言及

【播磨国】より

…このため困窮した領民の蜂起がしばしばみられるようになる。1739年(元文4)佐用郡平福の旗本松平氏知行所の一揆,49年(寛延2)姫路藩の全藩惣百姓一揆,87年(天明7)の林田藩領の打ちこわしなどがそのおもなものである。 播磨の産業としてはまず17世紀の塩業の展開があげられる。…

※「林田藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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