東坂庄(読み)あずまざかのしよう

日本歴史地名大系 「東坂庄」の解説

東坂庄
あずまざかのしよう

平安時代から室町時代にかけての観心かんしん(現河内長野市)領庄園。現東阪あずまざか辺りが庄域であったと思われる。元慶七年(八八三)九月一五日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書、以下同文書)によれば、石川郡内にある観心寺領庄園の一つで、東・西は峰、南は上滝、北は石川家堰に囲まれた約二〇町歩からなり、そこには萱葺屋根の庄屋一宇建てられていた。その水田は三町二反で、ほとんどを山地で占める庄園であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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