日本歴史地名大系 「東坂部村」の解説 東坂部村ひがしさかべむら 三重県:四日市市中部地区東坂部村[現在地名]四日市市東坂部町・坂部が丘(さかべがおか)・東(ひがし)ヶ谷(だに)・三重(みえ)海蔵(かいぞう)川と支流部田(へた)川の中間にあり、部田川は、当村の東南で海蔵川に合流する。村の北側は丘陵、東は小杉(こすぎ)村。「神鳳鈔」に「坂部御厨百八十丁、上分田六丁」とでる。江戸時代は津藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)には田方七二四・七三四石、畑方三九・六〇六石とあり、田に比して畑が少ない。寛延(一七四八―五一)頃の「宗国史」には坂部とあり「旧曰東坂部今如此」と注記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by