東堺町(読み)ひがしさかいちよう

日本歴史地名大系 「東堺町」の解説

東堺町
ひがしさかいちよう

下板橋しもいたばし西詰、ほり川の西で、下板橋通の西の突当りに位置する。初め堺町と称していたが、同町名があって紛らわしいので明治維新頃改称したと伝える。東堺町から濠川が西へ直角に曲がる所に浜側はまがわ町があったが、明治七年(一八七四)に東堺町の西隣の呉服ごふく町に合併され、呉服町を昭和四年(一九二九)東堺町に合併したので、現在の東堺町は先述の三町から形成されている。従って、昭和四年以前と以後とでは全く異質の町と考えられる。

「豊公伏見城ノ図」、伏見城下総絵図では、堺町・浜側町・呉服町などの地域はほとんど町家地区で、武家屋敷は見当たらない。山城国伏見街衢並近郊図には堺町の中央部に松平大隅守の屋敷地が大きく描かれ、呉服町と一部浜側町にかかると考えられる辺りに小川藤左衛門の屋敷地が書込まれており、江戸時代に入って二つの武家屋敷が営まれたわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

夏の暑さに体が慣れること。数日から数十日間で起こる短期暑熱順化と、数年または数世代にかけて起こる長期暑熱順化とがある。→寒冷順化[補説]近年では、冷房設備の普及にともない短期暑熱順化が起こりにくくなっ...

暑熱順化の用語解説を読む