日本歴史地名大系 「東大平村」の解説 東大平村ひがしおおひらむら 愛知県:岡崎市東大平村[現在地名]岡崎市大平(おおひら)町矢作川の支流乙(おと)川が南より東へ大きく屈曲した北側の台地上に立地。北から東は洞(ほら)村、東から南は西丸山(にしまるやま)村と大平村の分郷丸平(まるひら)新田、西は西大平村に接する。当村は藤川(ふじかわ)宿と岡崎宿のほぼ中間にあたる段丘上にあり、ここより作手(つくで)道が分岐し、古来より軍事・交通上の要地である。天正一八年(一五九〇)より岡崎藩領に属し、正保二年(一六四五)本多家と水野家の交替時に幕府領となる。寛永郷帳高七六四石余。元禄九年(一六九六)南端の一部が分郷し丸平新田となり、村高二八石余の柴田勝門領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報