日本歴史地名大系 「東大鐘村」の解説 東大鐘村ひがしおおがねむら 三重県:四日市市北部地区東大鐘村[現在地名]四日市市大鐘(おおがね)町朝明(あさけ)川の北岸にあり、北は低い丘陵、西方に西大鐘村がある。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)以降忍(おし)(現行田市)藩領。宝永八年(一七一一)の村指出帳(徳川林政史蔵)によると本田畑のほか、田方として「寅之起」一町二反余、畑方は「寅之起」四反余のほかに計二町二反五畝の新田がある。山手米一・三六石余の助馬代金二分と銀三匁五分一厘の負担があった。戸数二七、うち本百姓家持一八・名子水呑九。人数は男五七・女六八の計一二五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by