東富士謹一(読み)アズマフジ キンイチ

20世紀日本人名事典 「東富士謹一」の解説

東富士 謹一
アズマフジ キンイチ

昭和期の力士(第40代横綱),プロレスラー



生年
大正10(1921)年10月28日

没年
昭和48(1973)年7月31日

出生地
東京府下谷区二長町(現・台東区)

本名
井上 謹一

経歴
昭和10年高砂系の富士ケ根部屋入門、11年1月場所で初土俵。15年頃から力を付け、16年夏場所幕下優勝。17年十両、18年入幕。19年高砂所属となったが、2代目師匠と不仲出羽海部屋居候として苦労した。20年11月新大関。巨腹を利しての寄りは抜群で、23年第40代横綱に昇進。26年9月東冨士から東富士に改名。優勝6回。29年9月引退して年寄錦戸を襲名したが、同年12月力道山に誘われてプロレスに転向。アメリカでは“ヨコヅナ・レスラー”で人気を得たが、日本では力道山に押されて振るわず、プロレス界から去った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東富士謹一」の解説

東富士謹一 あずまふじ-きんいち

1921-1973 昭和時代の力士。
大正10年10月28日生まれ。昭和10年富士ケ根部屋に入門,翌年初土俵。18年入幕し,24年40代横綱となる。同年高砂(たかさご)部屋に移籍怒濤(どとう)の寄りで知られ,優勝6回。29年引退し年寄錦戸を襲名したが,プロレスラーに転向した。昭和48年7月31日死去。51歳。東京出身。本名は井上謹一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「東富士謹一」の解説

東富士 謹一 (あずまふじ きんいち)

生年月日:1921年10月28日
昭和時代の力士(第40代横綱);プロレスラー
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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