リング上で行われる興行としての格闘技でショー的要素が強い。プロフェショナルレスリングprofessional wrestlingの略。
ギリシア・ローマ時代にはすでに職業レスラーが存在したが,現在のような形の興行としてのプロレスが確立されたのは19世紀末といわれ,1905年にはフランク・ゴッチが初代世界王者に認定されている。アメリカで人気が高まったのは第2次世界大戦後で,1948年には世界最大の組織National Wrestling Alliance(NWA),現World Championship Wrestling(WCW)がプロモーター(興行主)の同盟組織として作られ,〈鉄人〉と呼ばれたルー・テーズが長期にわたって王座を守った。しかし57年にはAmerican Wrestling Association(AWA),63年にはWorld Wide Wrestling Federation(WWWF。現,WWF)が組織され,おのおの世界王者を認定するようになった。このほかにもWWA,NWF,IWAなどの団体が結成されている。
日本では1951年に初めての本格的なプロレス興行に参加した元大相撲関脇の力道山が,アメリカ修行を経て53年に帰国,日本プロレス協会を設立し,翌54年〈空手チョップ〉を武器にシャープ兄弟らと戦い,一大ブームを巻き起こした。〈悪い外人〉をうち負かす力道山は敗戦後の沈滞,鬱屈した国民の気持ちを大いに刺激した。民間テレビ放送の開始と重なり,プロレスを放映する街頭テレビには人が群れ集まり,テレビ普及の要因ともなった。力道山は62年に日本人で初めてWWA世界チャンピオンになったが,63年に不慮の死を遂げた。その後一時低迷したが,元プロ野球巨人軍投手で身長2.09mの巨漢ジャイアント馬場の登場,さらにアントニオ猪木の台頭,元柔道日本一の坂口征二の転向などによって人気を挽回した。72年にアントニオ猪木が新日本プロレスを,ジャイアント馬場が全日本プロレスを結成し,以後は2団体を中心とした時代へ移行した。また76年にアントニオ猪木が,ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのムハマッド・アリやミュンヘン・オリンピック柔道優勝者のウィレム・ルスカと〈異種格闘技戦〉を行い話題となった。
現在は新日本プロレス,全日本プロレスいずれも複数のエースが支えている。また,89年に大仁田厚がFMWを結成して成功したのをきっかけに小団体が次々と誕生,男女の団体が数多く活動している。一方,前田日明のリングスなど,キック,関節技を中心とした格闘技色の強い団体も人気が高い。97年には元柔道世界王者の小川直也がプロレスに転向して話題を呼んだ。日本,アメリカのほか,メキシコ,オーストラリア,南アフリカ,イギリス,ドイツなどでもプロレスが盛んである。
プロレスは20フィート四方のリングで行われる。勝負は(1)相手の両肩をマットに3秒間抑えつける,(2)KO(10カウント)する,(3)関節などに技をかけギブアップ(参った)させる,(4)リング外へ20秒間以上出す(リングアウト),(5)レフェリーないし医師が試合続行不可能と判断する,(6)一方ないし双方が禁止事項をおかす,などによって決する。しかし(6)の反則負けについては,禁止事項であっても5秒以内なら反則とはしない一方,レフェリーの判断でノーカウントでも反則負けにできるなど非常にあいまいな点がプロレスの大きな特徴といえる。また試合形式には1対1のほか数人対数人のタグマッチ,数人が入り乱れて戦うバトルローヤルがあり,そのほか反則を認めたり,決着がつくまで闘わせる〈デスマッチ〉と呼ばれる試合など,他のスポーツに見られない特殊なものもある。
執筆者:尾崎 透
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