日本歴史地名大系 「東崎町」の解説
東崎町
とうざきまち
土浦城と
安政二年(一八五五)改正の御改正下東崎―径界図(同館蔵)には「歩詰壱万六百六十八歩 内千八百九十二歩御組屋敷并獄屋 二千五百五十歩御除地 三千九百二十一歩本屋敷 二千三百五歩道代・堀代」とあり、寛永二〇年(一六四三)に城主西尾忠照が建立し、菩提寺とした臨済宗の東湖山円明院
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
土浦城と
安政二年(一八五五)改正の御改正下東崎―径界図(同館蔵)には「歩詰壱万六百六十八歩 内千八百九十二歩御組屋敷并獄屋 二千五百五十歩御除地 三千九百二十一歩本屋敷 二千三百五歩道代・堀代」とあり、寛永二〇年(一六四三)に城主西尾忠照が建立し、菩提寺とした臨済宗の東湖山円明院
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