東戸田村(読み)ひがしとだむら

日本歴史地名大系 「東戸田村」の解説

東戸田村
ひがしとだむら

[現在地名]小川町東戸田

三輪みわ村の南、塩那えんな丘陵東端に位置し、南は片平かたひら村。西部いわ川水系に属する谷間後沢うしろざわ集落がある。江戸時代を通じ烏山藩領であったと思われる。古くは戸田村と称したが、烏山藩領にもう一つの戸田村(現南那須町)があったため、当地を東戸田村、他を西戸田村と改めたという(小川町誌)。のち西戸田村が烏山藩領から離れたため、地方文書では単に戸田村と記される場合が多くみられる。寛永一三年(一六三六)の堀親良遺領村目録(神奈川県堀直敬文書)に戸田後沢とみえ、高七五石余。輪王寺本慶安郷帳では高二五八石余。吉永本では村名はみえるが高の記載は三輪村のものと考えられる。同本ではほかに上後沢村高七五石余(田高三五石余・畑高四〇石余)がみえ、いずれも烏山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む