日本歴史地名大系 「三輪村」の解説
三輪村
みわむら
三輪山の西南麓、
「古事記」崇神天皇段に、意富多多泥古命と活玉依毘売にちなむ「美和」の地名説話がみえる(→三輪山)。「万葉集」に
「和名抄」
三輪村
みわむら
揖斐川左岸の平坦地にあり、古くから交通・政治上の要衝として町場が形成された。一四世紀半ばには土岐頼雄の居城である揖斐城が築かれ、近世初頭には揖斐藩主西尾嘉教の政庁が置かれた。同藩断絶後は美濃国奉行岡田善同の陣屋も置かれている。三和とも書き、中世は近衛家領(のち奈良興福寺領)揖斐庄の内として推移。観応二年(一三五一)三月日の揖斐庄百姓等申状案(興福寺別当次第裏書)に「揖斐庄北方・南方・三和三ケ保百姓等」とみえ、永和元年(一三七五)一一月一五日の沙弥祐康寄進状(大興寺文書)には同庄「三輪保犬丸名」とある。「新撰美濃志」によれば古くは揖斐村とも称したという。慶長郷帳に村名がみえ、高九〇三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では西尾嘉教(揖斐藩)領。正保郷帳では田五九六石余・畑一二七石余・山年貢一石・城屋敷土居堀侍屋敷に成分として二一八石余、このうち旗本(美濃郡代)岡田善政領九三四石余・伊勢神宮領一石余・三輪明神領三石・松林寺領五石、ほかに新開三七〇石。
三輪村
みわむら
- 東京都:町田市
- 三輪村
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
- 静岡県:袋井市
- 三輪村
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
- 長野県:長野市
- 三輪村
嘉暦四年(一三二九)の「諏方上宮五月会付流鏑馬之頭・花会頭与可為同前御射山頭役結番之事」とある鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に五番五月会分として「右頭、東条庄内和田郷和田三河入道、付石渡戸・三和条・富武地頭等」とある三和条はこの三輪村のことである。
三輪村
みわむら
三輪村
みわむら
- 岡山県:総社市
- 三輪村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報