朝日日本歴史人物事典 「東政図」の解説
東政図
生年:天保6.9.17(1835.11.7)
幕末の盛岡藩士。通称次郎。藩主南部一門の家に生まれる。父は政博。嘉永6(1853)年の三閉伊大一揆の善後処理を課題として家老に任命される。藩政改革を進めるが,その急進性が反発を招いて翌年辞職。以来,楢山佐渡と対抗関係に立ち,2度にわたり辞職と復職を繰り返し,明治1(1868)年を迎える。同年の戊辰戦争で盛岡藩は奥羽越列藩同盟に参加,新政府軍の攻撃を受け降伏した。佐渡自刃のあとを受け藩政首脳として敗戦処理に当たり,廃藩置県とともに辞任。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報