東晴山村
ひがしはるやまむら
[現在地名]東和町東晴山
十二ヶ村の東に位置し、大半は北上高地西辺の山地と丘陵に立地。南境を猿ヶ石川が西流し、流域に平地が開けている。江戸時代中頃まで晴山村と称した。天正九年(一五八一)一月の和賀氏分限録(小田島家記録写)の御城持衆のなかに「四百石 晴山長門」がみえる。晴山氏は晴山館に拠った。慶長(一五九六―一六一五)頃の館主は晴山隼人であった(邦内郷村志)。館跡は遠野街道北側の高台(銀杏岡台地)にあるが、遺構は不明。笹館・八重樫館とも称したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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