東条城跡(読み)とうじようじようあと

日本歴史地名大系 「東条城跡」の解説

東条城跡
とうじようじようあと

[現在地名]吉良町駮馬 城山

幡豆山地から張出した残丘を利用した山城で、南に西流する矢作古(やはぎふる)川、西に南流する炭焼(すみやき)川が合流する低地を見下ろす地点にある。鎌倉時代の初め、足利義氏が九条家領吉良庄の地頭となり、この地に築城したという。東西一〇〇間・南北八一間(吉良町誌)。城跡はかなり崩れているが、土塁の一部がわずかに残る。矢作古川と幡豆山地の間の湿田地帯を流れる矢崎(やさき)川の支流は、東条城跡の西では炭焼川とよばれる。東条城の正面に通ずる小さな橋は、今も大手(おおて)橋とよばれる。北側の一角にある八幡社は、建長年間(一二四九―五六)在城鎮護として吉良氏が勧請したと伝える(吉良町誌)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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