精選版 日本国語大辞典 「発句」の意味・読み・例文・類語
ほっ‐く【発句】
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連歌(れんが)・俳諧(はいかい)用語。最初は短歌の初五文字、のちに同じく上の句(五・七・五)をさしていったが、十七音節(五・七・五)の長句と十四音節(七・七)の短句を交互に付け連ねる連歌・連句が成立すると、その巻頭の長句を、第二句(脇句(わきく))以下の付句(つけく)と区別して、発句とよぶに至った。短歌の上の句と違い、完結した思想を表現しなければならず、季(き)の詞(ことば)(季語)を詠み込み、切字(きれじ)を用いることが要請された。その点、今日の俳句と異なるところはないが、脇句以下の付句を予想して制作され、百韻(ひゃくいん)なり歌仙(かせん)(三六句)なりの一巻をリードするだけの格調の高さが重んじられた点で、一線を画する。やがて独立の詩形として自覚的に制作されるようになると、連句の第一句はとくに立句(たてく)ともよばれ、発句は俳句とも称されるに至った。しかし俳句の名称が本質的な詩性の変革を伴って用いられるようになったのは、正岡子規(しき)による俳句革新運動以後である。
[乾 裕幸]
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連歌俳諧用語。付合(つけあい)文芸における最初の1句。もともとは発句に始まり脇句・第3句と続けるものであったのが,室町頃から発句だけを独立させることがおこった。俳諧でもしだいに発句が独立し重要視されていく。明治期には正岡子規が発句を俳句とよび,1句独立した文芸として確立。発句は当初から一座の主賓が時節と場に対する挨拶の心をこめて詠んだため,季語と切字が必要条件として求められるようになり,俳句にも踏襲された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…連歌,俳諧や近代俳句で,句に詠みこむ季節感をもつ特定の語を,古くは〈四季の詞〉〈季の詞〉などといったが,明治末年以後,俳句に用いる四季の詞について,季題という語が用いられて一般化した。季語が広く連歌,俳諧の付句に用いる四季の詞までを含んで用いられるのに対して,俳句(発句)の季語を意味することが多い。早く和歌では勅撰集などで四季の部立が行われ,題詠の風も一般化し,季節の景物を詠むことが行われて,季節の詞が諷詠の題となった。…
…上下両階層に拡大した作者層を一つにまとめるため,貞徳は俳諧を〈俳言(はいごん)〉を賦物(ふしもの)とする連歌にたとえたが,これは俗語に文学的市民権を与えた最初の発言として革命的であったといえる。しかし,発句(ほつく)は縁語や懸詞などによる〈見立て〉が中心をなし,滑稽感に乏しい。また連句(れんく)は,ことばからことばへの連想をたどる〈親句(しんく)〉が主で,句境の転化・飛躍は多く〈取成付(とりなしづけ)〉によったため,句意の断絶するきらいがあった。…
…しかし,江戸時代には一般化せず,この語が5・7・5音の組合せを基本にした定型詩を指すようになったのは,明治時代,すなわち正岡子規による俳句革新が行われた過程においてである。それまでは発句(ほつく)という言い方が普通であった。発句とはもともとは連句における最初の句だが,江戸中期以降,発句のみが単独に作られることが多くなっていた。…
…
[形式と約束事]
連歌の形式は百韻が基本であるが,36句の〈歌仙〉,44句の〈世吉(よよし)〉(〈四十四(よよし)〉とも)と称するものも存する。各作品の最初の句を〈発句(ほつく)〉,次の句を〈脇(わき)句〉,第3の句を〈第三〉と呼び,まとめて〈三物(みつもの)〉と称する。発句は季を詠み込みその場に即して作るのが原則で,脇の句以下が,前の句によって提示された世界を展開・転換・変容させて,いわば虚構性を持つのと異質である。…
※「発句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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