日本歴史地名大系 「東植田村」の解説 東植田村ひがしうえたむら 香川県:高松市旧山田郡地区東植田村[現在地名]高松市東植田町西植田村の東に位置し、南部は標高四〇〇―五〇〇メートルの山地、北部の丘陵と朝倉(あさくら)川から北西流し、北流する高様(たかさま)川と合流、河川沿いに平地が広がる。東端に公淵(きんぶち)池・城(じよう)池が並ぶ。古代の山田郡殖田(うえた)郷(和名抄)の遺称地。弥生時代後期の竹元(たけもと)遺跡・下司(げし)遺跡などと片山(かたやま)古墳・馬場先(ばばさき)一号墳・同二号墳などがある。また公淵池付近には、七世紀前半から八世紀前半にかけての窯跡がある。 東植田村ひがしうえたむら 愛知県:豊橋市東植田村[現在地名]豊橋市植田(うえた)町野依(のより)村の西に続く梅田(うめだ)川左岸の村。慶長(一五九六―一六一五)頃はなお野依村の一部と考えられていた。三河国吉田領人馬役割帳(島原市本光寺蔵)に載る慶長九年の検地では「野寄村」内で一九六石余を検出。「野依村来由記」(野依村誌編纂会蔵)には、寛永六年(一六二九)の寛永検地のとき「植田東西と別れ」たとあるのをみると、慶長検地ではなお分村がはっきりせず、寛永検地によって初めて東植田村・西植田村が独立したもののようである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報