東横田村(読み)ひがしよこたむら

日本歴史地名大系 「東横田村」の解説

東横田村
ひがしよこたむら

[現在地名]宇都宮市東横田町・横田新町よこたしんまち城南じようなん三丁目・宮の内みやのうち一丁目

北は上横田村、東は屋板やいた村。中央を川が曲流し、西はやや高く東部低地南北は平坦。中世には横田郷の内と伝える。近世初期から宇都宮藩領。慶安郷帳に田方二六五石余・畑方五八石余とある。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では藁縄干葉等納高二五七石余、山家萱付馬等人足勤青草干勤高三五一石余、堰川除人足往還人馬勤高三六七石余。


東横田村
ひがしよこたむら

[現在地名]加西市東横田町

西横田村の東に位置し、北は西南にしなん村。慶長国絵図に村名がみえる。初め姫路藩領、正保(一六四四―四八)頃は幕府領(正保郷帳など)。宝永四年(一七〇七)から正徳四年(一七一四)まで伏見奉行役知として建部政宇(林田藩)領、延享元年(一七四四)から同三年まで大坂城代役知として出羽山形藩堀田氏領(「歳之当御条目」吉野町有文書)、宝暦二年(一七五二)から同一三年まで上野高崎藩領(宝暦一三年「年貢免状」東横田町有文書など)、安永六年(一七七七)から天明四年(一七八四)まで常陸笠間藩領(天明四年「年貢免状」同文書など)、文化一二年(一八一五)から文政元年(一八一八)まで相模小田原藩領、文政二年から同五年まで再び高崎藩領(前掲御条目)、同一〇年下総古河藩領となり幕末に至る(慶応元年「年貢免状」東横田町有文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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