日本歴史地名大系 「横田郷」の解説 横田郷よこたごう 千葉県:袖ケ浦市横田村横田郷現横田を中心に、南は小櫃(おびつ)川左岸の阿部(あべ)、北は松(まつ)川の流域にある三黒(みくろ)・永地(えいち)、北西の野里(のざと)を含む付近に比定される。紀伊熊野山領畔蒜(あびる)庄のうち。応永一八年(一四一一)九月二〇日の称名寺領畔蒜庄横田郷検田帳案(覚園寺文書)に「畔蒜庄横田郷」とみえ、金沢称名(かねさわしようみよう)寺(現神奈川県横浜市金沢区)が郷内の近藤三郎の所領を闕所とし、検注を行ったと思われる。惣田畠数は二〇町七反余、このうち除田畠が四町六反余あり、定田畠は一六町一反余。応永二三年横田郷内四分一の田地についての名寄帳が作成され、惣田数は九町一反で、本名・近藤四郎名・中内三郎名・あへ名の四名と、「しんしのせう」「平せう」「たうおん」「けんけうせう」の四人の耕作地、および散在分で構成されていた(同年九月二日「畔蒜庄横田郷名寄帳」同文書)。 横田郷よこたごう 島根県:出雲国仁多郡横田郷「和名抄」所載の郷で、諸本に横山とあるが、「出雲国風土記」横田郷とあることからヨコタであろう。同書によれば仁多郡四郷の一つで、郡家の南東二一里に郷長の家があり、地名は郷内にある四段ほどの形の長い田があることに由来する。正倉が置かれており、また当郷を含め郡内の諸郷が産する鉄は堅く、種々の具を作るのによいという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by