日本歴史地名大系 「東竪町」の解説 東竪町ひがしたてちよう 京都市:上京区仁和学区東竪町上京区御前通一条上ル下ル町は東西の一条(いちじよう)通(旧一条大路)、南北の御前(おんまえ)通(旧西大宮大路)により、北西部と南東部・南西部の三つに分れる。南東部の地は平安京大内裏の「漆室」から「正親司」の跡地(「拾芥抄」宮城指図)。南西部(万松寺と東光寺の地)は平安京の右京北辺にあたり、平安中期以降は一条大路西大宮大路西側の地で、官衙町の一つ「筑紫町」の一画にあたる(「拾芥抄」西京図)。近世は葛野(かどの)郡大将軍(だいしようぐん)村に属し、明治元年(一八六八)七月、上京に編入された。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「大将軍東竪町」と記され、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には「東タツ丁」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by