万松寺(読み)ばんしようじ

日本歴史地名大系 「万松寺」の解説

万松寺
ばんしようじ

[現在地名]岡崎市滝町 松谷

青木あおき川に南面した山麓滝山たきさん寺の西方に位置する。慈応山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。もと浜松普済ふさい寺末。開山は竜沢永源で永享一二年(一四四〇)創建。永源は普済寺の華蔵義曇の弟子で、明大みようだい寺に来住して草庵(後の安心院)を結んでいたが、岩津いわづ城主松平信光に招かれて、その外護により一寺を建立したという。信光寄進という本尊台座銘(今はない)に「慈応山万松寺本尊、永享十二年庚申年八月吉日 信心願主松平和泉守源信光 伝法沙門当山初住竜沢永源謹記」とあり、雲版銘に「奉掛慈応山万松禅寺鎮守八幡宮御霊前 三州額田郡滝川保 永享拾弐庚申年八月吉日 松平和泉守信光 住持竜沢」とあるので、寺伝はほぼ信じられる。

万松寺
ばんしようじ

[現在地名]山形市平清水

千歳ちとせ山の北東麓にある。千歳山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。元文二年(一七三七)江戸幕府寺社奉行の命で書上げた指上書(寺蔵)に「寺号は開基阿古耶姫より起り候」とあり、また本堂の板札(連)にも「当寺開基阿古耶姫 慶雲四年二月十六日逝去」「中興右近衛中将藤原実方卿 長徳四年十一月十二日逝去」と記されていて、阿古耶姫開基伝承の寺である。「万松禅寺誌」は、阿古耶姫は老松の伐り株跡に若松を一本植え、その近くに草庵を結んで髪をおろし、万松庵と名付けて松の精霊冥福を祈り、尼となって二四歳の生涯を閉じたと記している。

万松寺
ばんしようじ

[現在地名]中区大須三丁目

亀岳山と号し、曹洞宗。天文九年(一五四〇)古渡ふるわたり城主織田信秀が名古屋村(現北区・西区・中区)に大雲永瑞を開山として建立。慶長一五年(一六一〇)名古屋城築城ののち現在地へ移る(尾張名所図会)。延宝四年(一六七六)藩より大光だいこう院や善篤ぜんとく(現千種区)とともに触頭に任じ、正眼しようげん(現小牧市)に代わって名古屋市内宗門寺院との連絡に当たらせた(正眼寺文書)。寺領として初め信秀より五〇〇石を受けたのち中絶。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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