東高月遺跡群(読み)ひがしたかつきいせきぐん

日本歴史地名大系 「東高月遺跡群」の解説

東高月遺跡群
ひがしたかつきいせきぐん

[現在地名]山陽町山陽団地一―七丁目

和田(わだ)・岩田(いわた)・河本(こうもと)・熊崎(くまさき)にまたがって山陽住宅団地の造成された丘陵地には、多数の遺跡群が残されていた。主として弥生時代の集落遺跡からなる惣図(そうず)遺跡・用木山(ようぎやま)遺跡・岩田大池(いわたおおいけ)遺跡、弥生時代から奈良時代にわたる集落遺跡である門前池(もんぜんいけ)遺跡、弥生時代の埋葬遺跡を中心とした愛宕山(あたごやま)遺跡、さくら山(やま)遺跡、この地域の古墳群中の主系列を構成する用木古墳群、弥生時代の土壙墓と方形台状墓を含む四辻(よつじ)古墳群、小型古墳の密集した野山(のやま)古墳群、弥生時代の方形台状墓を含む便木山(びんぎやま)古墳群、弥生時代の墳墓から継続した愛宕山古墳群、小古墳の並ぶ宮山(みややま)古墳群、地域の南東部に分布する岩田古墳群など弥生時代から古墳時代にかけて重複した遺跡の密集団を形成していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む