日本歴史地名大系 「松山寺跡」の解説 松山寺跡しようざんじあと 高知県:幡多郡大方町井田村松山寺跡[現在地名]大方町伊田 アマガ谷アマガ谷の現観音寺(真言宗智山派)の所在地に、明治初年まであった真言宗寺院。「土佐州郡志」に「号清岸山東光院、石見寺末、本尊地蔵行基之作、此寺即行基所創営也、有田禄、伝曰、古有妙法院泉福寺北之坊西之坊南坊等、今無寺、其ノ本尊皆納於松山寺」とあり、中(なか)村(現中村市)の真言宗石見(いしみ)寺の末寺であった。天正一八年(一五九〇)の入野七郷内地検帳の井田(いだ)村内に寺名がみえ、一〇代の堂床のほか寺領もあった。「南路志」には寺領一石六斗および寺領山林一ヵ所が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by