松山忠二郎(読み)マツヤマ チュウジロウ

20世紀日本人名事典 「松山忠二郎」の解説

松山 忠二郎
マツヤマ チュウジロウ

明治〜昭和期のジャーナリスト 満州日報社長。



生年
明治2年12月12日(1870年)

没年
昭和17(1942)年8月16日

出生地
近江国(滋賀県)

別名
号=哲堂

学歴〔年〕
東京専門学校政治経済学科〔明治27年〕卒

経歴
明治27年東京経済雑誌社に入社し経済記者として修業。30年大阪朝日新聞社に入り、32年社命で米国留学、コロンビア大学で経済学を学ぶ。帰国後、東京朝日新聞に転じ、経済部長、44年編集局長。大正7年白虹事件の後、退社。9年読売新聞社社長、昭和6〜9年満州日報社長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松山忠二郎」の解説

松山忠二郎 まつやま-ちゅうじろう

1870*-1942 明治-昭和時代前期の新聞記者経営者
明治2年12月12日生まれ。27年東京経済雑誌社入社,30年大阪朝日新聞社にうつる。大正7年の白虹事件のあと東京朝日新聞編集局長をやめ,退社。9年読売新聞社長となったが,経営不振のため辞任した。昭和6年満州日報社長。昭和17年8月16日死去。74歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。東京専門学校(現早大)卒。号は哲堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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