日本歴史地名大系 「松平家御」の解説 松平家御まつだいらけごびよう 福島県:会津若松市旧東山村地区院内村松平家御[現在地名]会津若松市東山町石山東山温泉の入口左手の愛宕(あたご)山中にある会津松平家歴代藩主の墓所。明暦三年(一六五七)藩祖保科正之の長男正頼が死去した際、院内山を開いて墓所とした。この山は松が多く蒼烟鬱々として他山と異なる様であったという。保科正之は遺言により土津(はにつ)神社(現猪苗代町)に神葬されたが、二代正経から九代容保までがここに埋葬され、一〇代容大以下は奥の松平家墓地に眠る。寛文一二年(一六七二)正経が新堰を掘り、新田二町余を開いて墓田とし、三代正容が墓域を東西三〇〇間・南北一四九間に定めた(新編会津風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by