松平 慶民
マツダイラ ヨシタミ
- 肩書
- 宮内大臣,宮内府長官
- 生年月日
- 明治15年3月13日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- オックスフォード大学ベリオルカレッジ(英国)〔明治41年〕卒
- 経歴
- 中学まで学習院に学び、12年間英国に留学。明治39年松平侯爵家から分家して一家を創立、子爵となる。大正元年侍従になったあと、式部官、式部次長、式部長官、宗秩寮総裁を経て、終戦後の昭和21年1月最後の宮内大臣に。翌22年5月宮内省が宮内府になるとその長官となる。この間、大正期には長年の留学経験を生かし、皇太子裕仁親王(昭和天皇)の欧州訪問を若手として推進し、秩父宮雍仁親王の英国留学出発に同行。また皇族や華族たちを監督する宗秩寮総裁時代には歯に衣きせず皇族を叱りつけて“昭和の殿様”といわれ、宮内大臣・宮内府長官時代には占領政策のもとで皇室改革という激務にあたった。
- 没年月日
- 昭和23年7月18日
- 家族
- 父=松平 慶永(春嶽)(旧福井藩主)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
松平 慶民
マツダイラ ヨシタミ
明治〜昭和期の子爵 宮内府長官;宮内大臣。
- 生年
- 明治15(1882)年3月13日
- 没年
- 昭和23(1948)年7月18日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- オックスフォード大学ベリオルカレッジ(英国)〔明治41年〕卒
- 経歴
- 中学まで学習院に学び、12年間英国に留学。明治39年松平侯爵家から分家して一家を創立、子爵となる。大正元年侍従になったあと、式部官、式部次長、式部長官、宗秩寮総裁を経て、終戦後の昭和21年1月最後の宮内大臣に。翌22年5月宮内省が宮内府になるとその長官となる。この間、大正期には長年の留学経験を生かし、皇太子裕仁親王(昭和天皇)の欧州訪問を若手として推進し、秩父宮雍仁親王の英国留学出発に同行。また皇族や華族たちを監督する宗秩寮総裁時代には歯に衣きせず皇族を叱りつけて“昭和の殿様”といわれ、宮内大臣・宮内府長官時代には占領政策のもとで皇室改革という激務にあたった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
松平慶民 まつだいら-よしたみ
1882-1948 明治-昭和時代の華族。
明治15年3月13日生まれ。もと福井藩主松平慶永(よしなが)の3男。学習院,オックスフォード大でまなぶ。明治39年分家して子爵となる。侍従兼式部官,宮内事務官などをへて,昭和9年式部長官。21-22年最後の宮内相をつとめた。昭和23年7月18日死去。67歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
松平 慶民 (まつだいら よしたみ)
生年月日:1882年3月13日
明治時代-昭和時代の政治家。宮内府長官;宮内大臣
1948年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報