明治~昭和前期の宮内省の長。1885年(明治18)12月の内閣制度の創設にともない,宮内省を内閣の外において宮中・府中の別を明らかにし,それまでの宮内卿を廃止して,宮廷のことをつかさどらせるためにおかれた。初代は内閣総理大臣伊藤博文が兼任。86年の宮内省官制によって帝室の事務を総判し宮中職員・皇族職員を統督し,華族を管理することとされた。1907年11月の皇室令で皇室一切の事務について輔弼(ほひつ)の責に任じ,職員を統督し華族・朝鮮貴族を監督し,皇室令の制定・改廃・施行,省令の発布,主管事務の指令,訓令の発布などをつかさどると規定された。47年(昭和22)5月廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…また1879年に伊藤博文らは,宮中・府中の別を乱すという理由で,77年より宮内省に設けられた天皇側近の職である侍補等を廃止したり,あるいは参議が宮内卿を兼任しないという原則が主張されたりした。85年の太政官制の廃止,内閣制の創設は,制度的に宮中・府中の別を明確にし,宮内大臣は内閣の外にあるものとされた。しかし,同時に設置された宮中官としての内大臣は,天皇を常時輔弼(ほひつ)する立場から,ときに国政に関与することもあり,1912年の第3次桂太郎内閣成立のように,それまで内大臣兼侍従長であった桂が組閣するという例もあった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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